大きな声が嫌いな六郎はパワハラ、モラハラが横行する時代に、大いなるカナリアだ。それが一つ。二つ目は、もうちょっと複雑だ。今って、誰かが誰かを無意識に傷つける時代だなー。六郎って、そのカナリアでもあるなー。そんなふうに思ったのだ。「○○活躍社会」と、まるで全員が活躍できるような言い回しを、しょっちゅう耳にする。でも、そんなのありえない。だって、それぞれ立場が違う。それが当然なのに昨今のやっかいなのは、それでお互いが傷つけ合ってしまうところだ。自分と誰かの立場の違いを、意識させられすぎる毎日なのだ。
六郎が出征したのち、スズ子が怒鳴るシーンがあった。相手は、弟子にしてくれと押しかけてきた小夜(富田望生)だ。妻を亡くし、酒浸りの梅吉と同居するスズ子。小夜に梅吉の面倒をみてもらうはずが、2人で飲んでいた。スズ子はスズ子で時局から、三尺四方の中で歌わされている。父と娘の事情が交錯し、スズ子は怒鳴った。部屋から出て行く小夜は、裸足だった。スズ子にそのつもりはない。だけど、人は誰かを傷つけているのだと思う。
梅丸楽劇団の解散が発表された場面で、羽鳥(草彅剛)が「いつかまたみんな集まって、存分に楽器をならそうじゃないか」と言った。そこに聞こえたのが、「羽鳥さんにヒラの楽団員の気持ちなんか、わかりませんよ」という声。羽鳥の言葉に他意がないことはわかっていても、カチンと来る人がいる。作曲家とヒラ。立場の違いが人を傷つける。
六郎の「大きい声、好かん」があったから、スズ子や羽鳥、小夜に楽団員、全員が自分に重なった。誰かに傷つけられ、誰かを傷つける。そのヒリヒリ度が上がっている今。六郎は、現代のカナリアだと思う。