しかしオリックスファンはパ・リーグを中心に、広く野球界のことに詳しい。誰の同期は誰で、みたいな話から、昔の名選手の話まで。野球が好きで、中でもオリックスが好き、という感じだ。
このファン気質の違いは、阪神とオリックスという二つの球団の「歴史」を背景にしていると思う。
一筋縄ではない歴史
阪神は、プロ野球草創の1936年に読売新聞の正力松太郎の呼びかけに応じて球団を発足して以来、経営も本拠地も変わっていない。歴史は一本道であり、アイデンティティーは不変だ。だから阪神ファンも生一本で「関西で生まれたんやから、阪神を応援するのは当たり前や」と思っている。
しかしオリックスの歴史は一筋縄ではいかない。元をたどれば「阪神電鉄が甲子園で職業野球を始めるらしい」と聞きつけたライバル阪急電鉄の創業者、小林一三がアメリカの出張先から「うちも球団を作れ、西宮に球場も作れ」と指示し、阪神と同じく1936年に発足したのが始まりだ。
しかし阪急はずっと不人気球団で、「灰色の球団」と言われた。63年に西本幸雄が監督になってから強くなったが、「地味な球団」が「地味で強い球団」になっただけだ。
そして1988年、突然買収され、翌年から「オリックス」という耳慣れない球団名になると発表された。
阪急ファンの多くは、阪急沿線に住み阪急電車に乗って西宮北口の西宮球場に行き、ガラガラの球場で阪急を応援した。しかしオリックスは91年には、阪急電車が通っていないグリーンスタジアム神戸を本拠にした。「なんやこれは」と多くのファンが離れていった。
しかしそれでも1994年にブレークしたイチロー人気で少しはファンが戻ったが、イチローは2001年にMLBに挑戦、そして04年には大阪近鉄バファローズとの合併が決まったのだ。
同じリーグのライバル球団との合併。それは背信以外の何物でもない。オリックスファンも、近鉄ファンも、納得できないままオリックス・バファローズは再スタートを切った。