まだヒゲをたくわえていないころの竹野内豊(2011年)

女性人気は「当時は嫌でした」

「最近は硬派・軟派を問わず、幅広い作品に精力的に出演しています。21年末に26年間所属した事務所を退所し、昨年からはフリーランスで活動していますが、独立後は窓口や公式ウェブサイトがなく、SNSもやっていないため、新規の仕事依頼ができず、関係者が困惑していると一部週刊誌で報じられました。しかしフタを開けてみれば、この活躍ぶりですから、ただの杞憂だったことは明白です。現在は実姉がマネージャーを担当しているそうで、フリーランスになったことで、逆にオファーがしやすくなったという業界関係者もいます」(映画ライター)

 平成のトレンディー俳優として鳴らした竹野内だが、実際は、そこまで順風満帆でもなかったようだ。女性誌のインタビューでは「実は長い間、葛藤の連続でした」と意外な本音を明かしている(「Precious」21年4月号)。記事によれば、20~30代のころが特にひどかったそうで、「自分の役柄はこうだ」と枠を決め込んで、監督から要望があっても、その枠からハミ出すことをしないほど頑固だったという。映画「冷静と情熱のあいだ」(01年)など、恋愛映画で主演を務めて評価を得たが、「できるだけ、恋愛ものも避けてきた」と吐露。「女性人気があることも、表面的に見られているようで、当時は嫌でした」と意外な発言もあった。

 先の「徹子の部屋」でも、「30代のころは全力で走り、40代で少し周りが見えてきたが、自分の秘めた思いと調和しなくてはいけない部分でぶつかり合っていた時期」と話しており、50代になってから視野が広がって「しっかり地に足をつけて考えられるようになった」と語っていた。

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緒形拳からは「卑屈になるな」