『大臣』(岩波新書)、『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)、『民主党政権 未完の日本改革』(ちくま新書)など、著書も多い(撮影/写真映像部・上田泰世)

 厚生大臣として薬害エイズ問題、首相として東日本大震災に対応した菅直人元首相。自身の政治人生を振り返った。AERA 2023年11月27日号より。

【写真】厳しい表情で首相時代の菅直人氏に詰め寄る原発避難者

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 立憲民主党の菅直人元首相が、次期衆院選で地盤の東京18区から出馬せず、国会議員としての活動を終えることを表明した。事実上の政界引退と言える。

 1980年の衆院選で初当選し、国会議員生活は14期43年に及ぶ。96年に厚生大臣として入閣。2010年には民主党政権で首相に就任。政権は短命に終わったが、その後も積極的な発信を続けた。

 薬害エイズ問題への取り組み、原発事故対応についてなどを単独インタビューで聞いた。

──自身の政治活動について、「テーマ型で取り組んだ」と語っていました。特に印象に残っているテーマは。

菅直人(以下、菅):いろいろありますが、やはり大きいのは「薬害エイズ」です。血友病治療に使われた非加熱製剤にヒト免疫不全ウイルス(HIV)が混入し多くの患者がHIVに感染した事件で、89年に厚生省(当時)と製薬会社に対し、民事訴訟が起こされました。私は95年からこの問題に取り組むようになりました。争点の一つは「いつ、厚生省や製薬会社が非加熱製剤の危険性を知ったのか」。実は、厚生省は非加熱製剤が使われていた当時から危険性を認識していたんです。しかし、資料の提出を求められても「確認できない」と否定し続けました。非加熱製剤を販売していた製薬会社の当時の社長はかつての厚生省薬務局長です。身内をかばっていたんでしょう。そこで96年に厚生大臣になったとき、資料の存在を徹底的に調査しました。誰が誰に何を聞くか、誰がどこを調べるか細かく割り振って指示をしたんです。

組織的隠蔽を徹底調査

──通称「郡司ファイル」が見つかり、菅さんは厚生大臣として原告団に謝罪しました。

菅:ちょうど予算委員会の開催中でした。国会に出ていたら、昼間、なぜか「省に戻ってくれ」と。戻ると資料を3冊渡されました。読むと、ものすごいことが書いてある。厚生省が危険性を認識していたことは明白でした。その日の夜、資料が見つかったことをマスコミに公表しました。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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