直接東電本店を訪れたのも危機感から。あのときは、最悪の場合東日本全体に人が住めなくなる本当に危機的な状況でした。
悲惨な事故になってしまいましたが、東電の技術者が最後まで頑張ってくれたことのほか、4号機にかろうじて水が残っていた偶然も重なって、最悪のシナリオだけは回避できました。
──自身の政権は1年3カ月と短命に終わりました。悔いはありましたか。
菅:もっとやりたいことがあったというのは、もちろんその通り。それでも、私が首相として最大限の努力をすべきだったのは原発事故対応で、そこには全力で当たれたと思います。恥ずかしい話ですが、党内政局もあって1年3カ月で退きました。ただ、後任の野田(佳彦)さんも非常に頑張ってくれました。
──市民運動から出発し、総理大臣まで経験しました。
菅:非世襲で総理になったことに言及してくださる方は多いですが、当事者からするとそれが当たり前です。親が議員だから子が地盤を継ぐというのは、私の常識からすると全くおかしい。一切ダメとは言いませんが、封建社会ではないのに特に自民党にはあれだけ多くの世襲議員がいる。民主主義の健全さを大きく損なっていると思います。
今後も協力惜しまない
──立憲民主党の泉健太代表は「5年以内に政権を」と述べましたが、発言をどう受け止めていますか。
菅:野党第1党が政権交代の可能性を持つことは、議会制民主主義のなかで非常に重要です。泉代表の発言は、「5年」という期限の是非はさておき、近い将来に政権を担う意欲を示したという意味では大変よかったと思います。私自身はもう俺が俺がと前に出ていく立場ではないですが、何か手伝いができることがあれば、協力は惜しみません。
──これからの過ごし方は。
菅:思いを引き継いでくれる地元の政治家がいますので、彼らがうまく活動できるように、邪魔にならない程度の手伝いはしたいと思います。プライベートでは……、ゴルフは最近やらなくなったし、コンピューターで碁を打つくらいかな。
(編集部・川口穣)
※AERA 2023年11月27日号より抜粋