その後も調査を続けると、最終的に40冊を超えるファイルが出てきました。ある段階から薬害エイズのことはわかっていたのに、表に出さず薬がなくなるまで使い続けた。一種の殺人ですよ。しかもその資料を、組織を挙げて隠していた。謝って済む問題ではありませんが、大臣として謝罪するのは当然です。
当時私がいた新党さきがけが連立政権に入っていて、自分が厚生大臣に就いたのは巡り合わせもありますが、その後のキャリアにも大きな影響を与える出来事だったと思います。
原発訪問ベストだった
──首相在任時には東日本大震災が起きました。発災翌日の3月12日には自衛隊ヘリで福島第一原発を訪問しています。
菅:東日本大震災と原発事故対応は、私の政治生活の中で最も大きな出来事です。
直接原発を訪れたのは、それがベストだったから。11日、官邸に原子力安全・保安院の院長らを呼んで状況を聞いたのですが、答えが曖昧で要領を得ない。原子力の専門家なのか尋ねると、東大経済学部を出ていると言います。それでは技術的なことはわからないでしょう。
深夜にベント(排気)をやりたいと連絡があって許可したのに、それもいつまでたっても実施されませんでした。東電に聞いても「わからない」というだけで全く情報が伝わらない。福島第一原発と東電本店は24時間テレビ会議がつながっていたのですが、それも知らされていませんでした。これは自分が直接行って、見て、責任者と話をするしかないと思ったんです。
──15日には東電本店に乗り込んでいます。第一原発訪問とあわせて「指揮命令系統の混乱を招いた」との批判がありますが、自身の行動は今振り返っても最適だったと思いますか。
菅:説明も的確な報告もない中で、福島第一原発の吉田昌郎所長と会って話すべきだと判断したのは間違っていなかったと思います。首相が官邸を離れるべきではないという声もありました。ただ、私は原子力の専門家ではありませんが、東工大の応用物理学科を出ていて基本的なことはわかります。津波被害の対応を官房長官の枝野(幸男)君や副長官の福山(哲郎)君らに任せ、私自身が行くのがベストでした。「菅が邪魔をした」と言う人もいますが、行ってよかったと思っていますよ。