千里金蘭大学看護学部の教壇に立つ。日本にチャイルドライフ・スペシャリストの資格をつくり、育成するのが今後のテーマの一つ。同大は看護学部と教育学部を抱え、取り組みの場に最適だと話す(撮影/MIKIKO)

 だが法律ができたその日、福嶌は打ちひしがれていた。法案は衆議院を通過後、参議院での採決直前に修正が加えられた。家族の同意で提供できるとした当初案から一転、ドナー本人が生前に脳死判定と臓器提供の意思を「書面で表示していること」が条件とされたのだ。意思表示が有効なのは民法の規定で15歳以上。移植には体格の制限があり、大人の心臓は乳児や身体の小さい小児に移植できない。つまり、法成立によって国内での乳幼児移植が事実上できなくなった。

「僕は子どもを救いたくて移植に取り組んできたのに、小さな子どもだけが助からない法律ができてしまったんです。術はあるのに、目の前の患者を救えない。医師として耐え難い悔しさでした」

 それでも福嶌は諦めなかった。法改正に注力するため、03年にはメスを置いて外科手術の第一線から離れることを決意する。オペに愛着はあるが、社会の仕組みをつくることが何より大切だった。

 中学・高校・予備校の同級生で、大学でも教養課程のクラスメート(学部は歯学部)だった森悦秀(よしひで・67)は卒業後も福嶌と親しく交流してきた。当時の福嶌の様子をよく覚えているという。

「議員に説明に行くと『君が移植をしたいからだろ』と取り合ってもらえない。やっと法律ができたと思ったら子どもを救えない形になってしまった。助けたいという根本が伝わらないと、とても悔しがっていました。彼は昔から正義感が強く、決めたら貫き通す人。『患者のため』という信念で悔しさを乗り越えてやり通せたのだと思います」

大学の研究室で昼食を掻き込む。いま、最も注力するのは重症患者をジェット機で搬送する仕組みづくりだ。11月からは試験運航のためのクラウドファンディングにも取り組み始めた(撮影/MIKIKO)

心臓を止めるための診察 「悲しくて仕方なかった」

 福嶌は内科的治療やドナーの呼吸循環管理は続けながらもオペをやめ、国会に通い詰めるようになる。臓器移植法は成立時も改正時も、日本共産党を除く全政党が党議拘束をかけなかった。議員一人一人に何度も訴えかける意味は大きかった。当時、臓器移植患者団体連絡会の代表幹事として改正活動に取り組んだ大久保通方(みちかた・76)は福嶌を「唯一無二の親友」と表現する。04年以降の約5年、福嶌と大久保は毎週のように国会議員の事務所を回って法改正を訴え、署名を集め、公開講座を開き、連携して活動を続けた。

「先生の一番の原動力は、『子どもを救う』その一心でした。法改正が必要という先生はたくさんいたけれど、これだけ誠実に取り組んでくれた方はほかにいません。誠実で、正義感が強くて、でも非常にあったかい。すごい先生です」

 活動が実を結んだのは09年7月。家族の同意のみで移植を可能とする臓器移植法改正案が可決され、ようやく国内での乳幼児心臓移植に道が拓(ひら)かれた。

(文中敬称略)(文・川口穣)

※記事の続きはAERA 2023年11月20日号でご覧いただけます

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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