日本を代表する“モノづくりのまち”東大阪市から上京し、セレブを相手に億単位の物件を売る不動産ディベロッパーでクローズドのパーティーを運営。その後、広告業界へ転職、仕事で燃え尽きては体を壊し次の職場へ……と転職を繰り返した。仕事場やクライアント先が港区にあったので、活動の場も自然と港区に。勤めていた会社から給料が出なくなり、起業したのが42歳だ。資金は潤沢ではなかったが、信用性を重視し港区にオフィスを構えた。

「転職時代は全財産100円なんていう人生崖っぷちの時もありました。そんな自分が発展していく過程で、一流のものが集まる港区でさまざまなことを吸収できたのは大きい」

自分が一番輝ける場所

 派遣社員時代、参加した無料セミナーで聞いたゲストの言葉をメモしたノートは今でも大事に持っている。アート作品があちこちに展示されており、日常的に鑑賞でき精神的な刺激を受けた。野心ある人々との深夜までの会食では、第一線で働くとはどういうことかを目の当たりにできた。駒村さんは言う。

「身を置く場所が変わったら、価値観も変わり、その価値観に自分を近づけていこうと思えるようになる」

「ディナーショー」の会場は、人生最大の極貧時代を過ごした場所のすぐ近く。「人生は自分で創れる」というメッセージを込め、「単なる一般人の私が、やったこともない歌の披露を皆さんの前でやります」。

「自分が一番輝ける場所が、一番合うと実感した」

「鏡学」という独自メソッドでカウンセリングを行う鎌田聖菜さんは、大学卒業後、一時期、芸能界に籍を置いていた。

「いわゆる港区女子の方に誘われることもあったんですが、奢る方もそれが普通、奢られる方もそれが普通という文化に驚愕したのを覚えています」

 現在、プライベートの活動の場は中央区。古き良きものがあり、新しいものもあるその場で飲食するようになって、「地域の人と共に飲んでコミュニケーションをするのが好きな自分」を発見したという。

 ちなみに記者は、自他ともに認める歌舞伎町女子(=新宿・歌舞伎町が遊びの主戦場)。港区との距離(実際の距離ではなく)を痛感させられた。(ライター・羽根田真智)

AERA 2023年11月6日号

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