作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。今回は大宮さんが僧侶の松本紹圭さんとの対談を振り返ります。
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予想がつかない人生を選んで僧侶になられた松本さん。そもそも哲学がお好きで学ばれていたその線上に仏門があったのだから、一貫してはいる。
普通の人は、こういうのが好きだなあという方向が見えているのに、一般的な社会通念やら経済活動やらを頭で考えて、普通ならこうだろうと、だいたい予測がつく方に進むんだと思う。それでも私はいいと思う。人生いろいろだもの。予測がつくほうに行ったとしても、人生は、きっとなんだかんだ予測がつかないものになる。そのくらいの余白のほうが、人生楽しめたりもする。
それに、あんまり予測がつかないと、こわかったりしんどかったりするかもしれない。街に住めば、だいたいの安全は確保されるけど、森に住むとなると、いろんな危険と不便が伴う。でも心がすごく森を求めていたら、街で安全に住むより、深く息をできるんだろうなあ。すごく心が求めるものにあるタイミングで出会えたならそれはその人の、舵(かじ)を切るタイミングなのかもしれない。
常に、心、に聞くのがいい。心を無視しないでいいんだよというのが、東大を出て僧侶になられた松本さんの背中が教えてくれることかなあとも思う。
若い人がね、いや若い人ではなくても、いまの生き方がしっくりきていない、あるいは、しっくりこなくなった人は、松本さんの生き方が参考になるかもしれない。
ただ、松本さんは、東大にいった先輩がほとんどいない学校から、自分で入試の傾向と対策を練って、独学で東大に合格した。つまり、松本さんはそもそも、パイオニアとしての能力がすごく高いのだと思う。道なき道を作る人。そしてそこに喜びを見いだす人。道なき道を作るのが、ストレスな人もいると思う。だからみんなが真似できることではないかもしれないけれど、松本さんの言う、予測や期待をしないから、どうなったとしても面白いというのは、しあわせの本質かもしれない。それはどの人にも当てはまると思う。予測したら、それとずれたときがっかりしてしまうから。