2003年10月、37歳で日産自動車へ転じた。インターネットでみつけた公募に応じて、当時は東京・東銀座にあった本社へいくと、ホールで会社の「V字回復だ」との説明をみて「そうか」と気持ちが決まる。神奈川県厚木市のテクニカルセンターの購買担当に6年いて、本社勤務を経て、冒頭で触れたソウルや武漢での勤務へと進む。
2019年12月、社長兼CEOに就任。ゴーン事件のほかにもあった不祥事からの経営の正常化や、低下したブランド力の回復の先頭に立つ。だが、コロナ禍で経済活動や消費が落ち込み、2019年度決算は11年ぶりの最終赤字になった。
そこから、反転攻勢に出る。多過ぎていた生産能力を削減するために、スペインとインドネシアの工場を閉め、その他の工場の稼働率を80%以上へ上げて採算をとる。車種も減らし、モデルチェンジの間隔を縮めて、売れ筋の車種や電気自動車、スポーツカーに集中する。まだコロナ禍にあった2021年度、黒字軌道へ回復させた。
日本以外の二つの国で、青少年時代を過ごした。その体験をもとに、三つの国でビジネスパーソンとして駐在した。それらを結んだ『源流』は、さらに先へと流れる。まだ57歳。流れは、次はどこへ向かうのか。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2023年11月6日号