91年4月に日商岩井(現・双日)へ入社。「いったことがない米国で仕事をしたい」と思ったが、配属先は産業機械部で、途上国への政府開発援助(ODA)関連の輸出案件ばかり。人事担当者が「きみにぴったり」と言ったのは、エジプトとマレーシアにいたからなのか。
商社での初仕事は1人でやり遂げたのこぎりの調達
初仕事は、ベトナムの駐在員からきた「現地の工場が鉄板を切る日本製の工業用のこぎりの刃がなくなったので、ほしいそうだ」という件。受け取った課長代理に「やってみろ」と投げられ、テレックスにあった省略社名からメーカーを割り出すことから始めた。注文を伝えて見積もりを受け取り、取引を仲介。さらにベトナム企業の信用度を確認し、銀行に貿易融資を依頼し、輸出信用状をつくった。
これらを1人でやり遂げ、課長代理にほめられたが、描いていた「国際的な仕事」の実感はない。でも、その後も仕事を任されて「機械分野で頑張ろう」と思っていたら、3年目に「自動車部へいけ」と言われ、フィリピンにある三菱自動車との合弁事業の担当となる。長期出張の形でフィリピンに滞在し、マーケティングを手がけ、5年8カ月を過ごす。この間、商社マンというより、だんだん自動車マンになっていった。日本へ戻って新事業の開拓チームに入ったが、海外でビジネスをしたいとの思いは消えない。