横浜駅前の本社1階に自社の車が並ぶ。毎日のようにきて、客の思いを感じ取る。自由闊達の社風が受け継がれているかも確認している(撮影/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2023年 11月6日号より。

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 2018年4月、中国・武漢市にある東風汽車有限公司の取締役総裁に着任した。総裁は、日本で言う社長。同社は、中国の自動車大手の東風汽車公司と日産自動車が半々で出資し、03年6月にできた。乗用車や商用車からトラック、バスまで幅広く手がけるメーカーだ。

 合弁事業は、直前までいたソウルで経験していた。日産の技術とルノーの資本で韓国の三星自動車とつくった会社で、新車の開発を担った。だが、今度は立場も規模も違う。広州や大連にも工場を持ち、従業員は5万人を超えて韓国の合弁会社の十数倍。その思いを一つに束ね、次から次へ出る課題に速やかに決断を下すだけでなく、異なる文化や価値観に融合していかなければ、大世帯は動かせない。

 異文化への順応には『源流』と言える体験があった。小学校から高校までに、父の転勤でエジプトのカイロとマレーシアのクアラルンプールで暮らした。世の中というものが分かり始めて、自我の芽生えと周囲との折り合いという難しさを抱える10代半ばに3年間過ごしたマレーシアでは、自ら努力して異文化へ順応していった。

 武漢で、それが生きた。出向意識を捨て、現地人として振る舞うことに徹する。期間は1年7カ月と短い。日産のトップにいたカルロス・ゴーン氏が金融商品取引法違反で逮捕、起訴された後の混乱を収拾する社長の役が、突然、舞い降りてきた。

遊び相手もなく家庭教師と2人英語漬けの8カ月

 クアラルンプールには80年の初夏、大阪府吹田市の中学校で2年生になった後にいった。父は、多様な外国人の子どもがいるインターナショナルスクールへ通わせた。カイロでは日本人学校だったが、父は「これからは国際化の社会だから、ここがいい」と言った。でも、英語ができないので、すぐに入れてもらえない。家庭教師が付き、2人で8カ月、英語漬けとなった。まだ友だちもいないから、遊ぶ相手もいない。つらかったが、振り返れば父の選択は的確だった。ビジネスパーソン人生の『源流』が、流れ始めたときだ。

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