父親から「ビデオをやれ」
1958年、徳之島で生まれた加川さんは高校進学を機に島を離れ、その後、会社勤めをへて23歳のときに故郷へ戻った。
意外なことに、「実はぼく、闘牛に興味がなかったんですよ」と言う。
島にUターンした加川さんは喫茶店を営んだ。ところが、「喫茶店があまりにももうからないので、『闘牛ビデオ』を始めた」。それが闘牛好きになったきっかけだという。
そもそも喫茶店を始めたのは、フェリーが発着する島で一番大きな街、亀津に実家を建てた際、「おやじが1階の半分を趣味の写真スタジオにして、『もう半分は喫茶店にしたらいいから、島に帰ってこい』って、言ったからなんです。結構、おやじに振り回されましたね」と振り返る。
町役場に勤めながら、ライフワークとして徳之島の風土を写してきた加川さんの父親は島の有名人だった。
「最近ようやく、ぼくの名前を覚えてくれましたけれど、徳之島で『加川』っていうと、みんなうちの父親のことだと思っていた。給料のほとんどを写真につぎ込んで、相当入れ込んでいましたね」
喫茶店を開いて4年がすぎたころ、出張から帰ってきた父親は加川さんに、こう言った。
「これらからはビデオの時代だから、ビデオをやれ。もう注文したからな」
ビデオカメラは肩乗せ型の本格的なもので、編集機器と合わせて約500万円もした。
「『ローンを組んだので、お前が返済しろ』と。返済額は月々約7万円。勝手にビデオを買ったあげく、そんな金額が払えるかって、けんかしましたよ。おやじは好きな写真を撮って、ぼくにはビデオをやらせようとした感じでした。それで、闘牛を撮って、そのビデオを売ろう、という話になった」
撮るより見たくなる
徳之島では全島一を競う大きな闘牛大会が、初場所(1月)、春場所(5月)、秋場所(10月)と、年に3回開催される。
1場所につき、10番組ほどが行われ、勝った側も、負けた側も「闘牛ビデオ」を買うので、1場所につき最低20本は売れた。
「多いときで100本くらい。当時、ビデオ1本1万円から1万3000円くらいしましたから、だいぶ助かりました。それに、撮り始めたら面白いんですよ。それで闘牛が好きになった」
やがて、闘牛の撮影はビデオから写真に軸足が移っていった。
加川さんは闘牛場を訪れると、撮影機材を運ぶクーラーボックスを椅子代わりに、一番前の柵ぎりぎりに陣取る。
「試合中、牛のおしりがバーンって、柵に当たると、たまにひっくり返りますよ。ははは。後ろ脚が柵を乗り越えてくるので、ぶつからないように気をつけないと危ない。骨が折れます」
試合を撮影していると、思わずファインダーから目を離してしまうことがあるという。
「困ったことに、すごいシーンがあると、見るのに専念したくなるんですよ。それで、うわー!っと興奮して、撮り逃してしまうことがよくある。カメラを手にしているんだから、写真を撮れよ、っていう話なんですが」