ドラマや小説でおなじみの戦国時代の武将たち。でもそこでは「武」の部分がクローズアップされていて、なにげない日常の暮らしぶりはわからない場合が多い。そこでここでは彼らは何を食べていたのか、紹介する。

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 現代と違い、戦国時代の人々は米以外にも様々な穀物(麦・粟・稗・黍など)を主食として摂っていた。現代で飯といえば米だが、当時はこれら穀物を飯と称した。また動物性タンパク質よりも安定して採れる大豆・小豆などの植物性タンパク質も多く摂られ、これが飯の代わりになることもあった。鎌倉仏教の影響から、豆腐料理や蕎麦・素麺などを使った精進料理が普及し、工夫と改良が進んだのも戦国期の特色といえる。

戦国武将は家臣とは食事をともにするが、家族と食卓を囲むことはなかった。

 飯の調理法は、コシキで蒸した強飯、釜に入れて煮た姫飯・堅粥の2種。強飯は粘りのないもので現在の「おこわ」、姫飯は現在の「ごはん」である。酒宴ののちは、よく湯漬けも食された。『貞丈雑記』に「まず飯に湯をかけて口にし、次に香の物を口にし、本膳には汁を置かない」とある。湯は飯を食べているときには啜らず、飯を食べ終わった後に残った湯を飲むなど食べ方の作法もあった。
 

『雑兵物語』には「兵一日六合の米、十人で一日塩一合と味噌二合が支給された」とあるとおり、戦場では煮炊きが楽な米飯が重宝され、戦国末期にはそれがかなり普及していたようである。

 副食については、動物性タンパク質は魚貝類が圧倒的に多かった。干魚、のし鮑、のしイカが多い。北条家から沼田城へ送られた食物に「蜜柑、干海鼠、干物」というリストがある(『上杉家文書』)。他に鯛やタコなどの名前も出てくる。動物では鳥類(鴨・鶉・雉・鷹・鶴・雁)が多く、そのほかに鹿・狸・猪・兎・カワウソ・などの調理法が『料理物語』に見える。野菜はゴボウやダイコンなどの根菜類、ゼンマイなどの山菜。間食として葡萄や桃などの果物が食された。
 

※週刊朝日ムック『歴史道Vol.29 戦国武将の暮らしと作法』から