利用者の外出に付き添う菅原。野菜販売など、まちづくりの実践は多岐にわたる。菅原自身も、団地の自治会の一員だ。「僕らはケアを間に入れつつ、タテ・ヨコ・ナナメに地域の人をつなぐ『かきまぜ棒』」(菅原)(撮影/倉田貴志)

孤立した親子に伴走 困難なケースを救い出す

 菅原は小規模多機能型居宅介護と共に、NPOの事業を立ち上げている。そこに地域の住民としての菅原の立場を加えて、リソースを柔軟に切り分け、これまで介護の分野では手の届かなかったケアの実践を試みる。生ぬるくない現場にも対応し、「ケアのハイパーレスキュー活動」だとも言う。

 市内に暮らす70代の母親と40代息子への支援がその一例だ。「前頭側頭型認知症」の母親は、暴言・暴力を繰り返し、家で包丁を持ち出していた。外をひとり歩きしては警察に保護され、その回数は年100回はゆうに超えた。息子が相談しても、行政や介護事業所からの支援につながれずにいた。

 負荷の大きい介護を単独で担い、10年にもわたる孤立が続き、息子はやむなく自分の外出時には母親が家から出られないようにしていた。しかし、母親は「私をだせー!」と叫び、玄関扉を力ずくで開けようとして内鍵も壊してしまった。

 息子のSOSで駆けつけた菅原は、最初に6時間話を聞いた。母親は精神疾患も併発していたが、対策は未着手だった。そこで母親の病院の受診に同行。認知症の介護と障害福祉サービスを併用して受けられる枠組みは市内にはなかったが、行政と何度も粘り強くかけあい、支援体制も整えた。

 同時に、周囲に拒絶され続けたと感じ、人間不信に陥っていた息子のケアも、重要課題だった。

「最初、息子さんが外出時に、僕らがお母さんの訪問介護に入ったら、扉が開かないように全部で120キロにもなるコンクリートのブロックを玄関の前に積み上げてから帰ってくれと頼まれた。だけどそれをやるのは、介護事業所の職員としては虐待まがいになるから難しい。かといって拒否すれば、息子さんはまた心を閉ざしてしまう。考えた末、『積むのは、僕のNPO事業の一環』ということにして、一時的には対応したんですよ」

 その後、息子にはこう伝えた。

「ブロック重いっすね。あれ、毎回積むのは大変でしょう? 別の方法も考えましょうか」

 長い時間をかけ信頼関係を築き、母親が通いや泊まりも利用できるまでに導く。最初は警戒していた息子も、徐々に心を開いていった。

スタッフは約70人。朝の会議では「ALWAYS WHY?」を合言葉に、その人の最善やその時々の最適解を、全員が脳みそを「ぐるんと」回転させて対話しあう(撮影/倉田貴志)

幼少期は自信のない性格 広告営業から理学療法士へ

 関わり始めて約2年。今では息子は菅原と冗談を言い合い、最近は福祉事務所で働き始めた。

 介護保険制度だけじゃ、人は支えきれない。

 菅原が、この事例を通じて実感したことだ。

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