AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。31人目は、宮田利男八段です。AERA 2023年10月23日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。
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1967年。高柳敏夫八段(のちに名誉九段)のもとから内弟子の中原誠五段(のちに十六世名人)が巣立った。中原はこの年度、20歳の若さで棋聖位に挑戦。いまなお残る史上最高勝率0.855を達成するなど大棋士への道を歩み始めていた。入れ替わるように68年、宮田利男が高柳門下の内弟子に入っている。
「実にいい生活なんですよ。将棋に夢中になれました」
奨励会入会同期で棋士になったのは、同い年の青野照市(現九段)と、3歳年長の桐谷広人(現七段)だった。
「いま一番元気なのは、桐谷さんかもしれないですね」
宮田は19歳、青野は21歳、桐谷は25歳で四段に昇段した。その後、青野はA級に通算11期在籍。タイトルにも挑戦した。桐谷は棋士としては大きな実績は残せなかったが、近年、株主優待生活を送る個人投資家として有名になった。
「少し前、ある若い棋士に『この3人の中で一番有名なのは桐谷さんだから』って言われてびっくりしたね。『じゃあ次が青野で、その次がおれか……』と(笑)」
83年。宮田は全日本プロトーナメント2回戦で偉大な兄弟子・中原と対戦した。当時宮田は五段で、中原は十段・棋聖を持つ二冠。隣では大山康晴十五世名人と加藤一二三前名人(現九段)が対局していた。宮田については次のように記されている。
「巨漢だから正座はつらい。愛煙家なのに、周りを取り囲んだ三名人、だれもたばこを吸わないときている。さあ困った。『午前中はかしこまって指してたんですけどね、足はしびれるわ、たばこは吸いにくいわ、ネクタイも締めたままでしょ。午後はカッコつけんのやめようと、あぐらかいてたばこをぷかぷか吸っちゃったですよ』」(東公平「朝日新聞」1983年8月6日)