宮田利男(みやた・としお)/1952年10月29日生まれ。70歳。秋田県大曲市(現・大仙市)出身。72年、四段昇段。98年、三軒茶屋将棋倶楽部をオープン。2017年、現役引退。現在も後進の育成を続ける(撮影/横関一浩)

 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。31人目は、宮田利男八段です。AERA 2023年10月23日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。

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 1967年。高柳敏夫八段(のちに名誉九段)のもとから内弟子の中原誠五段(のちに十六世名人)が巣立った。中原はこの年度、20歳の若さで棋聖位に挑戦。いまなお残る史上最高勝率0.855を達成するなど大棋士への道を歩み始めていた。入れ替わるように68年、宮田利男が高柳門下の内弟子に入っている。

「実にいい生活なんですよ。将棋に夢中になれました」

 奨励会入会同期で棋士になったのは、同い年の青野照市(現九段)と、3歳年長の桐谷広人(現七段)だった。

「いま一番元気なのは、桐谷さんかもしれないですね」

 宮田は19歳、青野は21歳、桐谷は25歳で四段に昇段した。その後、青野はA級に通算11期在籍。タイトルにも挑戦した。桐谷は棋士としては大きな実績は残せなかったが、近年、株主優待生活を送る個人投資家として有名になった。

「少し前、ある若い棋士に『この3人の中で一番有名なのは桐谷さんだから』って言われてびっくりしたね。『じゃあ次が青野で、その次がおれか……』と(笑)」

 83年。宮田は全日本プロトーナメント2回戦で偉大な兄弟子・中原と対戦した。当時宮田は五段で、中原は十段・棋聖を持つ二冠。隣では大山康晴十五世名人と加藤一二三前名人(現九段)が対局していた。宮田については次のように記されている。

「巨漢だから正座はつらい。愛煙家なのに、周りを取り囲んだ三名人、だれもたばこを吸わないときている。さあ困った。『午前中はかしこまって指してたんですけどね、足はしびれるわ、たばこは吸いにくいわ、ネクタイも締めたままでしょ。午後はカッコつけんのやめようと、あぐらかいてたばこをぷかぷか吸っちゃったですよ』」(東公平「朝日新聞」1983年8月6日)

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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