ブルーノートと言っても、ジャズレーベルでもライブハウスでもありません。音楽用語のブルーノートのことです。もうずいぶん昔のことだけど、演奏仲間に「君は演奏している時、ブルーノート弾くことにリアリティあるの?」ときかれたことがある。思ってもいなかったその質問に「へっ!なんで?」となりましたが、まあ彼は「日本人のミュージシャンがブルース等の黒人の音楽やることのアイデンティティがどうのこうの」みたいなことで言い合いたかったのでしょうが、今みたいにもう、日本人(に限らずだけど)が世界中のどこの地域のどんな音楽をやるのも当たり前みたいな時代にあっては、ちょっとその当時のそういう若気の至り? の論争も懐かしいかな。
でも、実はこの時論争になどならなくて、私は単に大好きなウイントン・ケリーやハンプトン・ホーズのフレーズを、レコードを聴きながら必死で耳コピして得意げに弾いていただけであって、当然ブルーノートのことなど頭になく、彼にとって私は相手に不足ありすぎだったということだ。ごめんなバカで(^_^;
でもそう。いつも繰り返していることだが、私の音楽人生は人の演奏の「猿マネ=耳コピ」から始まっている。高校の時のディープ・パープルからすでにね。それが今でもボディブロウのように効いていて本当によかったと思う。
って、その話しはまたこんどにして、ブルーノート。「パリャーソ」(ほめちぎ第12回、ぜひ読んでみてくださいm(__)m)の相方のハーモニカ奏者の続木力に、学校公演の時などに曲間のMCで「短いハーモニカ講座」をお願いすることがある。ハーモニカという楽器は吹奏楽にもオーケストラにも使われていないのでみんなめずらしくて目も耳もランラン(◎-◎) 朴訥な彼はブルースハープの特徴をベンド奏法でブルーノートを吹いて一生懸命説明する。で、そこで「かっこいいでしょ!」と言えばいいものを、人の良い彼は「なんか今まで聞いたことのない変な音でしょ? 気持ち悪い?」とすぐに謙遜して言ってしまう。そこですかさず私が「なに言ってるの、力さん。我々ピアニスト族が出せない白鍵と黒鍵の間のブルージーでジャジーな音で、いつもとてもうらやましいと思っているサウンドなんだよ。我々はブルーノート出せないから仕方なく白鍵、黒鍵を二度でぶつけて表現したりしてるのさ」と混ぜっかえすのがお約束のようになっているのだが、我々ミュージシャンにとって空気のようなブルーノートも一般大衆(上から目線か。すみません(^_^;))にとってはまだまだ未知の音なのかなあ?
で、話はまたとびますが、そんなこともあって「からだはだまっていられない」という覚和歌子さん作詞、私作曲のこどもたちのための合唱曲を、一箇所ブルーノート遊びで書いてみたのです。で、先日こどもたちが実際にその曲を歌ってくれる現場があったので、ワクワク行ってみました。で、歌えてなかった……。いやいやこどもたちも指導の先生も責める気はまったくありません。長音階なのに♭している音にとまどったのだろうなあ。その上私の記譜はそのブルーノートからさらにジャズのホーン奏者の譜面によく書いてある「グリスダウン」の記号もつけてあって、ポルタメントやグリッサンドはクラシックの『楽典』に明記されているから問題ないのだけど「グリス」とか「ベンド」は「ポピュラー音楽の特殊奏法だから」って、一体いつの時代の話ししてるねん! そうやって垣根作るのはもうやめにしょ~(叫 誰に?おもに音大方面の頭カタイ族の方々へ)
すかさず私ニッコリ笑って「ぼくが歌ってみるから、まずマネしてみて」で歌唱指導(ってお前がうまく歌えるのかブルーノート! って問題もあるが、まあまずは気分。なにごともフィーリングさ(*^^)v で、ノリノリな私につきあって、おそるおそる試し歌いしてくれたこどもたちのブルーノートがなんとも清潔感あふれる音で思わずときめいてしまいました。いいなあこういうの。そう、意味じゃないんだよな。まずは実験なんだよな。それで思いがけない素朴な音が聞ける。ため息。
えっ、なに? 力さん? いやいや力さんのブルーノートが不潔とかそういうことではなく、やはりほんまもんのブルーノートは年期の入ったオッサンの渋い音でないとですよ。もちろん!
ということで今回はブルーノートについてでしたが、余談ですが、この「雑学的ブルースハープ講座」(http://www.aki-f.com/kouza/h_kouza/) 簡潔でわかりやすくすばらしいのでぜひご覧ください。ブルースハープってなんてかっこいい楽器なんだろう。ほれぼれ\(^O^)/[次回6/22(月)更新予定]