西武で黄金時代を築いた森祇晶氏が巨人の次期監督候補に浮上したのが、98年のシーズン中だ。

 前年4位に沈んだ長嶋巨人は、98年も勝率5割ラインギリギリの苦しい戦いが続き、2年連続V逸が決定的だった。

 9月2日、渡辺恒雄オーナーが「(続投かどうかは)本人の意思が最優先だ」と発言したことで、長嶋監督の進退問題が一気に表面化する。さらに後任候補として、西武時代に9年間で8度の優勝を成し遂げた巨人OB・森氏の名前が浮上。渡辺オーナーは「森氏とは今年も去年も1度も会っていない」と否定し、森氏も「あくまで今はシーズン中なので、答えたくない」と言葉を濁したが、「長嶋辞任→森新監督」の報道に、ファンは大きなショックを受けた。9月10日の広島戦では、スタンドのファンが長嶋監督続投を熱望するボードを掲げて応援する光景も見られた。

 だが、翌11日、森氏が「監督就任を正式に要請されてもお断りする。こんな大騒動になって、もうこれ以上はうんざりだ」とコメントしたことで、騒ぎは収束へと向かう。

 実は、長嶋監督は8月19日に成績不振を理由に辞表を提出しており、後釜に森氏が内定していたといわれる。森氏も張本勲氏を打撃コーチに招く話を進めていたと伝わるが、OBも含めて反対の声があまりにも多く、自ら身を引いたようだ。

 そして9月12日、長嶋監督続投が決定。森氏は2年後の2000年10月、横浜の監督に就任した。

 アンチ巨人の代表格で知られる星野仙一氏に、巨人から次期監督の話が持ち上がったのは、05年のシーズン中だった。

 同年の巨人は5位と低迷し、チーム再建の切り札として白羽の矢が立てられたのが、当時阪神のSD(シニア・ディレクター)を務めていた星野氏だった。

 巨人側は8月以降、数日にわたって星野氏に接触し、「巨人を助けてもらいたい」とラブコールを送ったが、アンチ巨人をトレードマークにこれまでやって来た星野氏は、ファン感情を考慮し、巨人入りに抵抗を感じているという関係者の話も報道された。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?
次のページ
巨人監督就任を断った理由は?