93年、Jリーグが開幕。ジーコ、リネカー、リトバルスキーら世界的な名選手も参戦し、レベルアップに一役買った

 スポーツジャーナリストの二宮清純さんは「平成期にまいた種が開花した」として、原動力を二つ挙げる。一つはJリーグの誕生と代表ブーム、もう一つが国際化だ。

 91年秋、日本初のサッカーのプロリーグであるJリーグが設立される。93年5月に開幕すると、大ブームを巻き起こした。

「Jリーグが優れていたのは地域密着に加え、アンダーカテゴリーを持つことを義務付けた点です。それまで日本のスポーツは強化一辺倒でした。一方、サッカーはJリーグを頂点に下部組織を整備し、普及・育成に力を入れたんです。いわば底辺拡大で、大きな底辺を持つピラミッドだからこそ頂点も高くなる。Jリーグの成功以降、各競技がそれを参考に普及・育成に力を入れるようになりました」

 Jリーグへの注目は日本代表ブームにもつながった。93年秋、サッカー日本代表はW杯初出場をかけたアジア最終予選を戦った。Jリーグで活躍する選手たちの檜舞台として盛り上がりは高まった。土壇場で本戦出場を逃した「ドーハの悲劇」のイラク戦は、深夜帯にもかかわらず平均48.1%、瞬間最大58.4%という驚異的な視聴率を叩き出す。二宮さんは続ける。

「この代表ブームは各競技にも波及しました。それまで『全日本』とか『ジャパン』と呼ばれることが多かったナショナルチームが『日本代表』の呼称に統一されていき、代表の価値を高めました。注目度は上がり、選手たちもそれまで以上に代表入り、代表での活躍を本気で目指すようになったんです」

 もうひとつは国際化だ。象徴的な出来事は95年。野茂英雄が渡米、ロサンゼルス・ドジャース入りし、日本人2人目のメジャーリーガーとなった。

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