「プロ野球という日本最大のスポーツ産業のなかで十分に稼いでいたトップ選手が、何の保証もない大リーグへ飛び込んだインパクトは大きかった。そして、『通用しない』という声をはねのけてあれだけの活躍をし、連日のように報道されました。後に続いた日本選手の活躍は言わずもがなですし、野球以外のスポーツでも若くから海外に出るのが当然になりました。他競技の選手が野茂に直接影響されたわけではありませんが、野茂が日本スポーツの鎖国を解いたとは言えるでしょう」
海外からの指導者の力
例えばサッカーでは、W杯初出場を果たした98年は代表全員が国内組だったが、前回22年大会では代表26人のうち19人が海外チームの所属だった。
国際化といえば、海外から来た指導者の力も大きかった。ラグビーでは、12年にオーストラリア出身のエディ・ジョーンズが代表ヘッドコーチに就任。15年W杯で強豪・南アフリカを破る大金星を挙げ、後任のジェイミー・ジョセフは19年大会で日本代表を初の8強に導いた。バスケットボールではトム・ホーバスが女子代表を率いて東京五輪銀メダル、21年からは男子代表のヘッドコーチに。今年のW杯では3勝を挙げ、48年ぶりの自力での五輪切符を獲得した。3人は就任以前に日本でのプレーやコーチ経験があり、日本に何が必要かわかっていた。前出の稲垣さんはこう話す。
「ラグビーでもバスケットでも、世界のレベルを肌で知るコーチが世界で勝つために必要なものを明確な戦術として授け、相当タフなトレーニングを課しました。選手も必死に食らいついた。また、フェンシングでは03年に日本協会の招きで来日したウクライナのオレグ・マツェイチュクコーチ、バドミントンでは04年に来日した韓国の朴柱奉(パクジュボン)コーチが日本代表を世界と戦えるレベルにまで引き上げています」
(編集部・川口穣)
※AERA 2023年10月16日号より抜粋