AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。31人目は宮田利男八段です。AERA2023年10月16日号に掲載したインタビューのテーマは「影響を受けた人」。
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「4連勝か4勝1敗で竜王奪取は絶対ダメだぞ」
伊藤匠七段が藤井聡太竜王への挑戦を決めたあと、宮田利男は弟子の伊藤に、そんなメッセージを送った。
「みんな『えっ?』て思うかもしれないですけど。第6局の対局地が、私の故郷の秋田県大仙市なんですよ。だから4連勝はやめてくれと」
秋田県からはこれまで2人の棋士が出ている。一人は羽後町出身の金易二郎名誉九段(1890-1980)。もう一人がは旧大曲市(現・大仙市)出身の宮田だ。
「金先生は私にとって大師匠なんですよ」
一門の系譜を師弟関係の順にたどっていくと、金、高柳敏夫(名誉九段)、宮田、伊藤となる。金は高柳の師匠で、また義父でもあった。
「地元の関係者が金先生に入門の相談をしたら『自分はもう年だから、高柳に』ということになったんです」
棋士を目指す宮田少年は中3の1月、卒業も待たず、故郷をあとにした。
「周りはやはり心配したと思います。東京に出ていくとき、親父から『ダメだからっていって、帰ってくるわけにいかないんだぞ』と言われた。でも自分は『そんなの当たり前じゃないか』と思ってました(笑)。楽天家っていえばいいのかな。『奨励会で勝てなかったらどうしよう』とか、そういうのを思ったことがないんだよね。『なんとかなるんだろう』って感じで」
上京した宮田は高柳家住み込みの内弟子となり、金や高柳、その家族らと、同じ屋根の下で暮らした。
「いま考えればそんなに広い家ではないです。でもあの頃はそんなものだと思っていた。よく『内弟子生活は大変だったんじゃないですか』みたいなことを聞かれるんですけど『こんないい生活はない』と思ってた。だって、毎日好きな将棋をやれるんだから。(一般客を対象とした)高柳道場の手伝いもするんだけど、自分も暇を見て将棋ばっかりやってるわけでね。もう田舎のことを忘れちゃうわけです。中学の卒業式で一度秋田に帰るはずだったのが帰んないで、あとはもうずっとそのままです(笑)」