この時の会見に臨む大田知事がまさに今、東京のテレビニュースで見る玉城知事の姿と重なるのだ。国の意向に従うにせよ、あらがうにせよ、県民の民意と国家権力の板挟みになる沖縄県知事の苦悩の姿だ。
今回の玉城知事の判断に際し、琉球大学の我部政明・名誉教授(国際政治)は「沖縄の知事には宿命づけられた任務がある」と歴代の沖縄県知事と連なる点を指摘している。「米軍基地を巡る政治と行政の間での緊張関係の中で、知事には将来の沖縄を形作る決定が問われる。どの知事にも決定が問われる時が必ずやってきた」(10月5日付沖縄タイムス)と。
沖縄の知事と他の都道府県知事との違いは、日本の「安全」を支える米軍基地の大半(米軍専用施設面積の各都道府県に占める割合は、沖縄県が8.10%なのに対し、次に割合の高い神奈川県で0.61%と大きな開きがある)を抱えさせられていること。そして、それに伴う負担を強いられる住民と政府の間に立たねばならないことである。我部氏は「沖縄の知事は、日本の安全保障政策に対し、沖縄の利益表出と行政組織である沖縄県の執行の二つの役割を担う」と説き、こう続ける。
「その二つが両立できない時、政権との距離に関係なく過去の知事たちは自らの考えに沿い判断してきたようだ。そして、行政の立場を選んだ。理由に、法律上の知事の権限が及ばないことを挙げてきた。知事の政治的役割も検討したが、決定後の世界を政治的に見通せなかったと推測する」
代理署名をめぐる大田知事の応諾表明はまさにそうだろう。
96年に大田知事が代理署名の応諾に踏み切ったことで沖縄県内には批判が巻き起こる。それに対し、大田知事は「(応諾を)拒否してその先に何が見えるのか。雇用の拡大につながるのか。基地の整理・縮小につながるのか」と訴えざるを得なかった。知事が二度と代理署名拒否の行動に出られないよう国は97年、知事から代理署名権限などを奪う駐留軍用地特別措置法改正案を約9割の圧倒的多数で衆院可決した。この際、自民党で衆院安保土地特別委員長を務めていた野中広務衆院議員は「圧倒的多数で可決されようとしているが、『大政翼賛会』のようにならないように若い方々にお願いしたい」と異例の意見表明を行った。
当時の心情について野中氏はのちに筆者の取材でこう答えている。
「沖縄には琉球政府時代の自立心や琉球王府としての歴史もある。それから米軍の支配で復帰が遅れた。こういうことを無視してはいけないし、われわれもまた、沖縄は兵隊だけでなく一般民衆も犠牲になった(沖縄戦など)、沖縄には耐え難い歴史がずっと残っているんだということを脳裏に置きながら、節目節目で民族としての償いをしてきた。しかし、それが分かっている政治家がだんだん少なくなっていた。政治家だけでなく日本全体だけれども」
野中氏の「大政翼賛会にならないように」との発言は、衆院可決から4日後の理事会で議事録から削除されることが決まった。