米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画をめぐり、政府は代執行訴訟に踏み切る方針だ。県が繰り返し求める対話に応じず、「解決」は図られるのか。
国家権力が総がかりで沖縄をねじ伏せにかかっている。名護市辺野古の新基地建設をめぐる国と県の係争の「最終局面」はそんな印象を強くするものだった。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、新たな区域の埋め立て工事に必要な防衛省の設計変更申請について、斉藤鉄夫国土交通相は5日、国が県に代わって承認する「代執行」のための訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。玉城デニー知事は6日、「訴状の内容を精査したうえで対応を検討する」との声明を発表、判断を保留した。代執行訴訟が行われた場合、年内にも県の敗訴が濃厚とみられる。
設計変更の不承認処分をめぐる訴訟の9月4日の最高裁判決で県の敗訴が確定して以降、玉城知事の苦悩の表情が何度もマスコミを通じて映し出された。その都度、この表情には既視感がある、と思っていた。最も近いと感じたのが、1990~98年に知事を務めた大田昌秀氏だ。
大田氏が知事在任中の95年9月、米海兵隊員らによる少女暴行事件が起きた。翌10月の県民総決起大会で壇上の大田知事が最初に口にしたのは被害者の少女に対する謝罪だった。
「行政の責任者として、いちばん大事な幼い子どもの人間としての尊厳を守ることができなかったことを心の底からおわび申し上げます」
大田知事はその後、米軍用地の代理署名拒否に踏み切る。代理署名とは、米軍用地への提供を拒む地主に代わって知事が代理署名を行い、民有地の強制使用を可能にする手続きだ。これにも沖縄県特有の背景がある。在日米軍基地の大半が戦前の旧日本軍の基地をそのまま使用しているのに対し、沖縄県では戦後、米軍による公・民有地の強制接収が行われたため、沖縄県を除く全国の米軍施設・区域では約87%が国有地なのに対し、沖縄県では民有地が4割近くを占める。知事が代理署名を拒否すれば、米軍用地の使用は違法状態となり、日米安保体制が根幹から揺らぐ事態になるため、日本社会の耳目が沖縄に集中した。そんな中、日米両政府が合意したのが96年の普天間飛行場の返還だった。市街地の真ん中にある同飛行場の返還は大田知事が最優先で求めていたからだ。この返還合意はのちに「県内移設」が前提であることが分かり、現在に至る混沌(こんとん)の出発点になる。
96年8月、最高裁は代理署名拒否訴訟の上告審で沖縄県の訴えを棄却、県の全面敗訴となった。沖縄では最高裁判決の直後の96年9月8日に、「基地の整理・縮小」と「日米地位協定の見直し」について賛否を問う県民投票が行われ、賛成は約9割にのぼった。県民投票の翌々日、大田知事は橋本龍太郎首相(当時)と面談。県民投票の結果を伝え、基地問題解決や沖縄振興を訴えた。これを受け、橋本首相は基地の整理縮小と日米地位協定の運用見直し、沖縄の経済振興に尽力するとの談話を閣議決定した。会談から3日後、大田知事は橋本首相の談話を評価する形で、代理署名手続きである公告・縦覧代行に応じることを表明する。