翌89年、尾花は5月5日の中日戦で史上98人目の通算100勝を記録するなど、11勝を挙げ、年俸も5020万円に上がった。
前出の尾花同様、防御率に勝ち星が伴わなかったムエンゴの代表格が、2002年にNPB史上初の最も勝ち星が少なく、負け越し(4勝9敗)で最優秀防御率に輝いたオリックス・金田政彦だ。
同年の金田は23試合に登板し、防御率2.50を記録したが、オリックスは最下位に沈み、チーム打率も12球団ワーストの.235とあって、23試合中11試合までが得点ゼロ。登板1試合あたりのチームの平均得点は2.9ながら、珍しく打線が爆発し、17対0の大勝だった7月19日のダイエー戦を除くと、1.9まで減る。しかも、9敗のうち、7回を2点以内に抑えた“報われぬ好投”が5試合もあった。
そんな事情もあって、同年12月12日の契約更改では、ムエンゴのハンデを乗り越えてタイトルを獲得した金田の働きぶりがどれだけ評価されるか注目された。
だが、倍増の1億円を希望する金田に対し、球団から提示されたのは、71パーセントアップの7000万円だった。
サインを保留した金田は、交渉後の会見で、「ショックです。寂しい。内容は評価すると言われたのですが、プロなのだから、言葉でなく金額で評価してほしい」と不満をあらわにし、涙を見せた。さらに「記者から見て、僕はいくらでしょう?皆さんの声が聞きたい」と訴えた。
これに対し、球団側は「内容面は十分盛り込んだ。初めから倍増を希望する姿勢だったので、これは難しいなと」(金田義倫管理部長)と主張し、両者の言い分は平行線を辿った。
冷却期間を置いたあとの12月24日、金田は2時間半に及ぶロング交渉の末、ようやく7500万円でサイン。「少しだけ上積みがあった。埋まらない分をインセンティブにした」とプラス出来高1000万円をかち取ったが、翌03年以降はケガなどもあり、年俸に見合う成績を残すことができなかった。