ドラマや小説でおなじみの戦国時代の合戦。戦いが日常的に行われていたその頃、武士が生き延びるためには武芸の腕を磨くことは欠かせなかった。より強い武者になるために、彼らは日々の暮らしの中でどのような稽古や鍛錬を続けていたのか――。

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 元来、朝廷の護衛役から始まった武士という存在。先の『早雲寺殿廿一箇条』にも「勤務の合間に乗馬の稽古をすべし」「文を左、武を右にするのは古来からの決まりで記すに及ばぬ」とある。彼らに必要とされたものといえば、まず一にも二にも武芸だった。

 とくに必須だったのが「武芸四門」すなわち馬・弓・刀・鉄砲。これに槍と柔術を加えて「六芸」ともいわれた。

 弓馬は技能を上達させるだけでなく、武士が身に付けるべき作法や所作が求められた。たとえば小笠原流馬術では身分が上の者に下馬して拝礼するなど、兵を指揮するのに必要とされた振る舞いが教え込まれた。弓術では矢をつがえてから放つまで、背筋を一直線に保つのが理想的な動作である。そもそも弓馬は槍術や剣術より費用がかかるため、上級武士のステータスでもあった。

弓は、鉄砲よりも速射が可能。放物線を描くように射れば、頭上から敵を攻撃することもできた。そのため鉄砲が普及しても、弓の鍛錬は欠かせなかった。
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織田信長は決まった馬術の師を持たなかった