港に立つと胸が躍る。この先に世界がある、そう思って育った。いまも海外への出張やダボス会議出席に、「海の男の血」が騒ぎ、疲れることがない(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2023年10月2日号では、前号に引き続きサントリーホールディングス・新浪剛史社長が登場し、『源流』である横浜港や母校を訪れた。

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 生まれ育った横浜市三ツ沢は内陸部にあるが、横浜港へくると「海の男の血」を意識する。「自分は浜っ子」とも、自認する。「新浪」の家系を遡ると、愛知県の三河湾にいた海賊で、海戦か何かで船を失って横浜へ逃げてきた、と聞いている。

「海の男の血」を象徴するような出来事が、小学校に入る前にあった。母の叔父がやっていた港湾荷役会社の作業員を巻き込んだ「出入り」をみて、怖がるどころか、声を出して笑っていたらしい。「出入り」は、簡単に言えば喧嘩で、流血に至ることが多い。10代を迎えた以降、何かあると「血が騒ぐ」と感じて、その度に「海賊の末裔だからかな」と思ってきた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 新浪剛史さんが、これがビジネスパーソンとしての『源流』だと思うのが、「海の男の血」だ。その『源流』が湧き出した横浜港を今年4月、連載の企画で一緒に訪ねた。

 1959年1月生まれ。道すがら、幼いころを思い出す。父は戦争末期に特攻隊へ配属されたが、終戦で生き残り、横浜に戻って米軍の通訳をした後、荷役会社に入った。そこで母と出会い、結婚する。

「正月に作業員らを家へ連れてきて、みんなで酒を飲み、いろいろな人に挨拶をさせられました。日本酒の匂いが、部屋じゅうに満ちていましたね」

先輩と飲み回って酒類が好きになりいま「よかったな」

 当時、酒に関心はなかった。でも、慶応義塾大学で中学から続けていたバスケットボールを怪我で断念した後、体育会の役員になって先輩たちに飲みに連れ回してもらううちに、けっこう好きになる。

 三菱商事からコンビニ大手ローソンの社長を経て、ウイスキーで社業の礎を築いたサントリーホールディングスの社長になり、酒類と接する日々に「酒が好きになっていてよかったな」とつくづく思う。

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