「しかも、その王ちゃん(王貞治)の55本は、メジャーでたいした実績も残していない外国人選手に抜かれてしまって、日本の投手は情けない」(野村)
13年(優勝巨人)のウラディミール・バレンティン(ヤクルト)は、チームが最下位なのに60本塁打をマークしてMVPに選ばれた。バレンティンは内角高めの速球には右ヒジを巧くたたみ、外角低めストレートには腕を伸ばした。神宮球場は確かに狭いが、ランディ・メッセンジャー(阪神)からライトスタンドにライナーで打球を運んだ60本目は圧巻だった。
いずれにせよ、セ・リーグで優勝チーム以外からのMVPは、64、74年(優勝阪神、中日)の王(野村に次ぐ戦後2人目の三冠王<73、74年>)、13年のバレンティンの3例しかいない。
【2】力勝負のパ・リーグは「優勝チーム以外のMVP」が多い
73年間で「優勝チーム以外のMVP」がセ・リーグで3例だけなのに対し、パ・リーグには実に11例もある。ここに「スモール・ベースボール」のセ・リーグと、「力勝負」のパ・リーグの違いが、図らずも象徴される。
63年の野村52本塁打の次の例の打者MVPは、82、85年の落合博満(ロッテ)三冠王、88年の門田博光(南海)二冠王。門田は右アキレス腱を断裂しながら復活し、40歳で全130試合出場44本塁打125打点は、まさに「不惑の本塁打王」としてファンに勇気を授けた。