その言葉通り、河野の後任には、初入閣で政治経験の浅い堀内が五輪相と兼任する形で就いた。大臣直轄のワクチンチームも縮小され、合同庁舎11階の大臣室近くにあった作業部屋は、別棟の地下1階へと移された。
オミクロン株の出現により政権のワクチン軽視は裏目に出て、12月以降、泥縄式に高齢者や現役世代の6カ月への短縮を迫られた。
新規感染者は年明けから爆発的に増え、2022年1月23日には初めて全国では5万人、東京では1万人をそれぞれ超えた。高齢者施設でのクラスターも目立ち始め、その後の死者数が増える要因となっていった。
「結局は何も学んでいなかった」
「なんで進まないの。もっと増やせないのか」
岸田のいら立つ声が官邸執務室に響き渡ったのは、年が明けた1月下旬だった。
居並ぶ官邸幹部は黙ってうつむくしかなかった。岸田の手元には3回目のワクチン接種の回数が記された資料。接種回数は前日から1万回しか増えておらず、想定したペースには遠く及ばなかった。
国会に目を転じると、与野党から3回目接種のスピードが上がらないことへの批判が強まっていた。圧力に押し切られる形で、岸田は菅前政権を踏襲するかのように「1日100万回接種」を宣言せざるを得なくなった。
岸田はようやくワクチンチームの強化を指示した。人員を20人ほどに増やし、作業部屋も大臣室の近くに戻した。政府も自治体も、ワクチン接種加速に向けた態勢が整ったのは、2月に入ってから。それでも、2回目までと違うワクチンを打つ「交互接種」への不安などから、重症化リスクの高い高齢者への接種は思うように進まず、「第6波」が長引く要因となった。
ある政府関係者は、こうため息をついた。
「菅政権もワクチンに翻弄されたが、岸田政権は同じ過ちを繰り返しただけで、結局は何も学んでいなかった」
早い段階で3回目接種の前倒しに踏み切れず、リスクを取ることなく後手に回った岸田。その後の爆発的な感染拡大のなかで、専門家頼みの対応が際立っていった。