哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 宗教学者の島薗進先生と鎌田東二先生と、「宗教と修行」というテーマでオンライン鼎談をした。私は修行者という立場から発言を求められた。先達お二人を前にして「お釈迦様の掌で暴走する孫悟空」という私の最も好きな役割を思う存分演じた。私が報告したのは「修行というのはアジア固有の自己陶冶であり、これに類するものは西欧にはない」という論である。

 修行というのは先達の背中を見ながらひたすら道を進むだけのものである。めざすべき目標として「大悟解脱」「天下無敵」というような言葉だけはあるが、むろん死ぬまでどれほど修行を積んでもそんな境位に達することはできない。自分が全行程のどのあたりにたどりついたのかさえ知らぬまま、道半ばにして修行者は息絶える。だが、修行者にとってそれは恥ずべきことでも、悔やむべきことでもない。修行というのは「そういうもの」なのである。

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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