五味さんが感じる「恐怖」とは。そう尋ねると、
「恐怖とは、自分でコントロールできないことから生まれるもの」
と答えた。
「たとえば圧倒的に自分より強い、絶対叶わない相手。病気や災害。そして自分の尺度と全く異なる行動や言動の人。どれも自分で予測やコントロールできないということが共通していて、そういったものに人は恐怖を感じるのだと思っています」
お化け屋敷は、怖いものがその先に待ち受けていることがわかっているけれど、自分の足で歩いて、ドアを開けたりしなければならない。その絶妙なバランスが五味さんのお化け屋敷の魅力だ。
「おばけ屋敷って、入って歩いていくうちに、自分がどのあたりにいるのかわからなくなってくるじゃないですか。つまり、空間が自分でコントロールできない状態になる。空間が把握できていたらいざというときにあそこに行けばいいんだと思えるかと思いますが、それができない。空間認識を一旦閉ざして、コントロールできない状況を作るわけなんです。ミッションをクリアしなければならない。それがお化け屋敷の基本ですね」
コントロールできない空間に置かれ、離れたところから聞こえるお客さんの叫び声。それもまた、お化け屋敷の恐怖感の大きな演出を手伝うかたちとなる。
「そこは大事ですね。自分しかいない状況というのも怖いですが、この先に何があるんだろう、または通ってきたところから悲鳴のあがる共通の感覚。互いが見えなくても、みんなでこの空間を怖がっているんだ、楽しんでいるんだという祝祭的な感覚もあるんじゃないかなと思います」
そのような理由から、「体験型」を重視する五味さんのお化け屋敷は、乗り物に乗って進んだりするタイプのものではなく、自分の足で歩いて進むということにこだわる。
「お化け屋敷って、やっぱり自分の身体がダイレクトに恐怖にさらされるということ、そこが一番のポイント。そこがホラー映画などとも全く違うわけです。自分の身体に何かが起こるということで生まれる怖さ。そのために自分で歩いて、ドアを開けたり、のれんをくぐったりという身体性を伴うものにしたい」
「呪いの硝子窓」も、入口でインターホンを鳴らすところから始まり、ドアを開けたり、のれんをくぐったりなど、実際の身体を動かして体験する箇所がたしかに多かった。
「乗り物に乗った状態で入口から出口まで連れていかれるものではなく、自分の足で歩いて進むということにはこだわっています」
秋になった。しかし、お化けの季節が終わっていくわけではない。
「別物かもしれませんがハロウィンの季節にもなりますしね。どの季節でも楽しめるエンターテインメントとしてそこに存在するので、秋になってからいらしていただいても楽しんでいただけるかなと思います」
気が早いかもしれないが、2024年のお化け屋敷もやはり自分の足で歩き、視覚や聴覚、触覚、自分自身の五感でコントロールできない恐怖を味わうものになることは、
「この先ずっと変わらないんじゃないでしょうか」
ちなみにここ数年のパンデミックという恐怖などを取り入れる予定はないそうだ。
「あまりにも現実的なものは取り入れにくいです。災害などもそうですが、現実のニュースになっていたものに近いものが目の前で展開されるとどうしてもそれを思い出してしまい、エンターテインメント、フィクションとして楽しめないものになってしまいます。そういったものとはなるべく距離をとるようにこころがけています」
過ぎ去った夏のやり残しを回収すべく、あらたに秋の恐怖を感じるべく、「呪いの硝子窓」はそこにあり、待っている。
(ライター・太田サトル)
※AERAオンライン限定記事