宝塚歌劇団の花組で5年半もトップを張りつづけた大スターにもかかわらず、なかなか自信が持てなかったと明かす明日海さん。「自分自身をプロデュースする力みたいなものも、私にはとても必要だなって、ずっと思っていました」(撮影/写真映像部・高野楓菜)

 中学3年生の決断に、誰もが反対した。最初の反対は両親からだ。

「今思えば、やっと高校に入学するという一人娘が、家からいなくなってしまうわけですから、さみしさや不安もあったのでしょう。でも私は私で、初めて自分でやりたいことを見つけたというワクワク感で胸がいっぱい。三日三晩泣き明かして頼み込み、何とか両親には許してもらったんです」

 ところが今度は通っていた学校から、「宝塚を受けることは許可できません」との勧告が。第二の関門は「学校には内緒で受ける」という古典的方法でクリアして、まもなく宝塚音楽学校に合格、03年、宝塚歌劇団に89期生として入団を果たした。

もがき苦しんだ組替え

 今年は芸能生活20周年。その日々を振り返ったとき、一番のターニングポイントと言えるのはいつですか?

「この時っていうのを絞るのがすごく難しいんですけど……。強いて言えば、入団当初に配属された月組から、入団11年目で花組に組替えになったときかもしれません」

 月組では準トップスターを務めていたが、組替えして1年少し経った頃、一気に花組のトップスターに就任する。

「いろいろなことを一緒に経験して、一緒に大きくなった月組の人たちと舞台を作るのとはまた違う、特別な緊張感がありました。宝塚は組についているファンも多くて、そういう方々が私のことを、どういう人なんだろう、どういう芝居をするんだろう、どんな踊りするんだろうとまだ思っているとき。そんなタイミングで、組の頂点に立つことになったんです」

 トップを任せてもらえたことは、期待してもらえたということ。観客はもちろん、ほかのメンバーやスタッフにも「どんどんいいトップさんになっていくね」と認めてもらわなくてはと、もがき苦しんだ。

「種をまいては耕して育て、また種をまいては耕して育て……。そうやって信頼関係を0からコツコツ作っていくしかなかったですね。なぜできた? いちばんは、やっぱり宝塚がすごく好きだから。もうひとつは、あれだけみんなに心配されて、反対されて宝塚に入ってきた。半端な感じでやってしまっては、自分が許せなかったんだと思います。自分が納得できるまで、やり遂げなくてはと」

 そうして完璧を目指して努力する姿勢は、ファンにとっても彼女の大きな魅力の一つになった。そんな彼女が20周年記念で選んだのは、「ヴォイス・イン・ブルー」と名付けられたコンサートだ。

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