より重要なのは指揮官クラスの戦死である。武田氏研究者の平山優氏は「兵卒の戦死者数では、ほぼ拮抗する両軍も、指揮官クラスの戦死者となると、これは圧倒的に武田軍に甚大な損失があったことが認められる。武田軍は、信玄の弟武田信繁のほかに、武田一族油川彦三郎(武田信昌の子油川信恵の系統)が戦死し、侍大将クラスでも初鹿野源五郎、三枝新十郎、両角豊後守、山本勘助、安間三右衛門らを失っている。これに対して、上杉軍に名だたる一族や武将の戦死は伝えられていない」と述べている。

 また平山氏は、感状の有無にも注目する。上杉政虎は合戦三日後の九月十三日付で、参戦した揚北衆に対して感状を与えている。俗に「血染めの感状」と呼ばれているものであり、ほぼ同文の五通が現存している(三通は原本)。一方、武田信玄は感状を発給していない。現在伝わっているものは全て偽文書と考えられている。平山氏は「第四次川中島の合戦に限って、武田信玄はこれほどの戦闘が展開されたにもかかわらず、家臣たちに対して感状を発給した形跡が認められないのである。これは信玄自身が感状の発給をためらうほどの、つまり軍事局面では敗北を意識し、また家中でも感状を望む空気が起こらないほど消沈した雰囲気が支配していたのではないだろうか」と論じている。

 これに対して上杉氏研究者の福原圭一氏は、「血染めの感状」で上杉方が多数の戦死者を出したことに言及していると述べ、上杉方の敗北であると主張している。しかし福原氏自身が認めるように、「血染めの感状」に記されている上杉方の犠牲者は下層の武士であり、指揮官クラスが大きな被害を受けたことを示す史料はない。

 また福原氏は、近衛前久書状の「自身太刀打ち」に注目し、「大将が敵陣へ切り込んでゆくリスクをそうそう冒せるものとは考えにくい」と述べ、「謙信のいる本陣まで武田勢が攻め込んできている」可能性を指摘している。そして「いずれにせよ武田勢が謙信の間近に迫っている状態であったことは間違いないであろう。戦況としてはかなり不利な立場におかれていたといえよう」と結論づけている。

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