西村いくこさん
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「女の人が博士号を取っても職はないよ」と言われていた時代に、大阪大学理学部生物学科でカボチャの種の研究を始め、博士号を取った。学費を払って研究する「研究生」を夫のそばで続けること12年、愛知県岡崎市にある国立研究所で助手という「職」を得たのは41歳のときだった。49歳で京都大学大学院理学研究科教授に。「反省すべきは、受験生だった子ども2人を放ったらかして京都に来ちゃったこと」という西村いくこさんに聞いた。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

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――京大に行かれる前は、岡崎国立共同研究機構(現・自然科学研究機構)基礎生物学研究所(基生研)の助教授でした。夫で植物細胞生物学者の西村幹夫さんが教授を務める研究室の助教授だったんですね?

 そうです。博士号を取ってから、私はいろんな教員公募に応募したんです。「女の人は無理だよ」と言われながらも女子大や外国語大などにも応募し続け、落ち続けた。38歳になって、もう助手に応募する年齢でもないなと思ってから、教員公募への応募はやめた。

 でも、この間も研究はずっと続けていて、12年間、名古屋大学や神戸大学の研究生でした。学費を払ったのは夫の西村です。西村が神戸大の助教授から基生研の教授になり、私は41歳のときに同じ研究室で助手になりました。助手になって感動したのは、科学研究費補助金のグループ研究(重点領域研究)に参加できたことです。違う生物種を専門にする研究者たちと議論できることが本当に楽しかった。

 助手を6年やって、基生研で初めての女性の助教授に就きました。同じ研究室で夫婦が教授と助教授という体制は、望ましいことではないと思っていたので、意識して夫とは違うテーマを進めるようにしてきました。

――具体的にはどういう研究を?

 阪大理学部4回生のときに入ったのは、たんぱく質化学を専門とする研究室でした。指導教授はサントリーの研究所から赴任されたばかりで、同級生には光合成の電子伝達系を研究するように言ったのですが、私にはカボチャの種を渡して「面白そうなたんぱく質があるから、何かやってみて」と。

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カボチャの種から発見が生まれた