あかし・きくお/1950年生まれ。98年から「不登校児やひきこもり者」とその家族の相談を始め、2001年にフリースペース遊悠楽舎を開設(撮影/写真映像部・上田泰世)

「おまえ、どうすんだ!」「いつまで甘えてんだ! いい加減にしろ!」

 次男に父親は罵声を浴びせ、殴りかかった。社会から撤退せざるを得なかった息子の苦しみを考えもしなかった。

「次男はどうしようもないから家にいるのに、どうすればいいかを考えるのではなく、頭ごなしに怒鳴ればなんとかなる、と父親は思っている」

子どもの気持ちより「ちゃんとした料理」

 高度経済成長期のエリートサラリーマンだった父は、一家の支配者として家族に君臨していた。一方、母親といえば戦後に一般化した「専業主婦」という、夫や子どもの「お世話をする」、奉仕の役割を担う存在だった。“強い父”に怯える次男は、母親に救いを求めるしかない。しかし……。

「次男は父親がいない時、台所で料理をする母親の後ろをうろうろしているという。だけど、母親は台所仕事の方が忙しい。息子が何か言いたがっているのに、夫のためにちゃんとした料理を作ることを優先する」

「ちゃんとした料理」より、大切なのは「子どもの気持ち」。優先順位が間違っていると明石さんは言う。だが、小さい頃もひきこもりが長期化してからも、母親の優先順位に変わりはない。

「ちゃんとした家族であることが優先されて、子どもの気持ちに気づけない。話し合えない家族の、まさに典型だと思います」

「ちゃんとした食卓」を囲み、「何かあったの?」と親から尋ねられても、話などできるはずがない。父親も母親も、子どもの内面を考えようとも、気持ちに寄り添おうともしてこなかった。

 こうした歪んだ歴史を積み重ねての、「8050」だと明石さんは言う。外側だけ見れば、経済的に恵まれた「勝ち組」に見えるかもしれない。

 明石さんはこの次男へ想いを伝えたいと手紙を書き、次男が食事をする食卓に置いてほしいと母親に頼んだ。

「しかし、なかなか読まないものだから、父親が勝手に判断して引き出しに仕舞い込んだ。『手紙が汚れるから』と。そんなことはどうでもいい。目につくところに、置き続けてほしかった」

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