麻原彰晃の三女の名を問われれば、今でも、すぐに「アーチャリー」と口に出る。
20年前、地下鉄サリン事件の首謀者として麻原が逮捕されたとき、その名はオウム真理教の後継者として頻繁にマスコミに登場した。両親に似てぽっちゃりとした、報道陣のカメラにアカンベーする12歳の女の子……。彼女の本名が松本麗華と知ったのは、書店でこの『止まった時計』を手にしたときだった。副題に〈麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記〉とあり、白い服を着て薄化粧をした丸顔の女性の写真がカバーを飾っていた。
生きてたのか──かつて「アーチャリー」と呼ばれた女性の顔を見て最初に私が抱いたのは、そんな思いだった。麻原の娘として生まれ、世間の白眼に晒されて住む場所も安定せず、公安やマスコミに追われ、残った信者たちの思惑に巻きこまれ、裁判所に仮処分申請しなければ大学にも入学できなかった人がまともな人生をおくっているはずはない……そのぐらいは手記を読まなくても、誰だって想像がつく。子は親を選べないとはいえ、もしも自分が彼女の立場だったらと考えただけで、生きつづける困難ばかりが浮かんでくる。
教団の中で16年、社会に出て15年。この本にはその内実がしっかり書かれていて、彼女が経験した31年間がいかに苛烈なものか、読者は思い知る。それは、よくぞ自殺せずにとさえ思える日々だ。しかも、彼女の心の支えがいつか父と再会して事件の真相を聞くことだったと知ると、9年4カ月ぶりに接見して父の崩壊を目のあたりにした時の衝撃には、同情の念さえ覚えた。その日を境に重い鬱になり、どうにか彼女は生き残って後日、この本を書き上げた。
自分の過去と向きあうことで、12歳で止まっていた時計を再び動かしはじめた松本麗華。彼女には、たとえ最愛の父がいなくなったとしても踏ん張り、是が非でも自分の人生を歩んでいってほしいと、私は今、切に願っている。
※週刊朝日 2015年5月8―15日合併号