藤原:受験の偏差値教育も、仕事の査定評価も、その基軸に当てはまりますね。
孫:これまでは仕方なかった面もある。工業社会のために、人間が機械のように働かなければいけなかったからでしょう。特にこの50年余りは、日本のサラリーマンはいかに業績を高めるかが宿命でした。でも、これだけAIが発達した今となっては、「もう、能力信仰は意味ないよ」と。機械と競い合ったって、敵うわけがありませんから。ならば、「私たちは何を学ぶべきか」、「人として何を磨くべきか」をアップデートさせなければいけない。
藤原:機械のような人間を生み出すような教育は陳腐化しますよ、ということですね。僕は最近の自著『学校がウソくさい』で同じことを書きました。学校教育の「正解至上主義」の弊害をとことん指摘しましてね。とは言え、ちょっと意地悪い質問をしちゃうと、孫さんだって今の地位なり成功があるのは、能力があったからじゃないか、と訊かれたらどうします?
孫:決して能力の話じゃないんです。「どうすれば成功するか?」などと今までたくさん質問されましたが、答えられるのは「成功の方程式なんてない」。それだけです。起業や投資の現場に数十年身を置きながら、あらゆる大成功や大失敗を見聞きし、自分も何度も挫折しました。でも、それらに再現性はなく、すべてが一回だけ起きる事の積み重ねでした。測れない。要するに、結果論なんですね。ですから、能力があるかどうかなんてただの「信仰」にすぎず、科学的な論拠は何もない。