「これだけは言いたいのですが、会長が決まらないことに安倍さんは天国で嘆いていると思います。どうして決めないのだと」

 昨年7月の安倍元首相銃撃事件以降、混迷を続けてきた安倍派の会長選びは、「5人衆」が横並びになる集団指導体制でいったんは落ち着くことになる。

 だが、下村氏を露骨に外した派閥内での争いは、過去にも起きている。かつて安倍派では、安倍元首相の父、安倍晋太郎元幹事長が亡くなった時も三塚博氏と加藤六月氏という大物2人が会長の座を激しく争った。

安倍元首相が「俺の後は下村さん」と言っていたのは知られた話?

 自民党の政務調査役を長く務めた、政治評論家の田村重信氏は、

「三塚氏と加藤氏の時と似ています。あの時は森氏が三塚氏側についてうまくまとめて、加藤氏は派閥を出ました。森氏はそういう経験もあるから派閥の争いにどう絡めば存在感が出せるかよくわかっている。ただ、今回のような言動、特に下村氏に“あたる”ような内容は、森氏の「院政」のような状態が見えてしまう。安倍派にとっては最もよくない」

 と指摘する。そして、「実は」と切り出し、こう続けた。

「実は、安倍元首相は『俺の後は下村さん』と言っていたことがあるのです。安倍派のベテランクラスならたいてい知っています。そうなると順番がまわってこない5人衆は困るわけです。だから、下村氏外しは5人衆の全員が得することになるので集団指導体制を選んだということでしょう」

 コップの中の争いはいつまで続くのか。

(AERA dot.編集部・今西憲之)

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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