駿府城跡の発掘現場。「今川館」跡の発見が期待されている。駿府城は徳川とも今川ともゆかりが深い。
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 徳川家康に最も影響を与えた人物は誰だろう。今川氏真であったと考えるのは、日本中世史の歴史学者・黒田基樹氏だ。二人の交流は何と、氏真が死去するまで、およそ六〇年以上におよんでいた。さらにこれまで知られていなかったのが、天正七年に家康の三男徳川秀忠が誕生すると、その女性家老(「上臈」)にして後見役に、氏真の妹・貞春尼が任じられたという事実である。黒田氏の新著『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。

【図】貞春尼に関する家系図はこちら

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今川貞春の活躍

 秀忠の上臈としての貞春尼の動向については、現在のところはわずかに二件が知られているにすぎない。いずれも小林輝久彦氏によって紹介されているものになる。おそらくは今後、関係史料の精査をすすめていけば、さらに検出されることと思われるが、ここでは確認されている二件の内容を紹介しておくことにしたい。

 一つ目は、慶長十三年(一六〇八)に、八歳の秩父重能(慶長六年生まれ、母は武田信豊娘)を、秀忠の家臣に取り成していることである(『寛永諸家系図伝第六』二二九頁)。そこには「今川氏真の姉、剃髪して貞春と号す、大権現(家康)の鈞命によりて崇源院殿につかうまつる、大権現、重信(秩父)が子孫を貞春にとわせたまう。貞春、重信と好あるをもってのゆえに、詳らかに言上す。これによりて慶長十三年、重能八歳にて大権現に拝謁し、台徳院殿(秀忠)につかえたてまつる」とある。

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貞春尼が氏真の姉というのは誤伝