塩田氏(以下敬称略):以前からずっと書きたいと思っている題材がいくつかあり、その中の一つが誘拐でした。黒澤明の『天国と地獄』のような、抜群の緊迫感がある誘拐ものをいつかやってみたかった。ただ、問題がありました。誘拐を題材にしたお話は、既にやり尽くされている。何かしら新しいアイデアが必要だったんです。そこで最初は、別種の事件を起こすことを考えました。つまり、神奈川県下で別の重大事件が起き、警察の戦力がそちらに集中しているところで身代金目的の児童誘拐事件が発生したら……と。ところが、いろいろ調べてみても県警全体が動くような事件ってほとんどないんです。誘拐ほど、戦力が割かれる重大事件はないんですよね。どうしようかと頭を抱えていた時にふと、そうか、別々の場所で「二人同時に誘拐されたら……」と思ったんです。最初の事件を「囮」にし、二つ目の事件を「本命」に据えた同一犯の犯行だったならば、体制が脆弱になった警察のスキをついて被害者から身代金を奪取できる可能性があるんじゃないか? 思いついてすぐ、編集者に電話しました。「笑わんと聞いてほしい。やりすぎやったら言ってほしい。二児同時誘拐ってどうですか?」。そこで「面白いです!」と言っていただけたところから、小説が走り出しました。
警察関係者に取材をかけると、二児同時誘拐は成功する可能性があるとの心証を得た。と同時に、華やかな印象から選んだものの決して土地勘があるわけではなかった横浜の各地を実際に歩き、誘拐ルートを慎重に見定めていった。
塩田:まず横浜市の役所で開示請求をして、一九九一年の現場付近の写真を入手し、国会図書館で同年の横浜市中区の住宅地域地図を手に入れました。地図を持って現場を歩きながら、ここがコンビニ、喫茶店、レンタルビデオ店、家具店、ここが港……と、三〇年前との違いを一つ一つ確かめていった。そうするうちに、三〇年以上前のこの場所の“今”が浮かび上がってくる感じがしたんです。