ほかのレスラーに対しても「お前ら、これだけやれるのか!」という気持ちがあったね。相撲でも、プロレスに転向したときと同じくらいの熱量で稽古をしていたら、もっと上の番付にいけたんだろうなって今でも思うことはあるよ。過酷な相撲界を生き抜いてきた俺でも、それだけプロレスではハードなトレーニングと試合をしたという自信があるんだ。

 そのハードワークのせいもあって、これまで多くのダメージを負ってしまったけど、今は娘夫婦が労わってくれるから、生きていける。女房が亡くなって、もしも、娘夫婦にないがしろにされて、「あなたの人生を知っている」って慰めてくれる人がこの世にひとりもいないと、生きていけないよ。

 そういえば、その娘と女房が昔、安室奈美恵のコンサートに行く前日のこと。俺と女房がケンカして、意地になって一人でホテルに泊まりに行ったことがあったっけ。

 コンサートが終わってから、そんな俺を女房が「そろそろ帰りませんか」って、ホテルに迎えに来たりして、彼女にもずいぶんくだらないことまで体験をさせてしまったなと思うよ。それでも、いつも女房は感情的にならずに、どうしたらいいかを考えて、実行して、団体のマネジメントとか新日本プロレスとの交渉とかをよくやってくれたよ。永島勝司さんに「タフネゴシエーター」と呼ばれるほどだったんだからすごいよ。

 我が嶋田家もピンチで過酷な状況がいっぱいあったけど、女房がうまく差配してやりくりしてくれたおかげで今があると思う。一番過酷な状況を乗り越えてきたのは、俺よりも妻・嶋田まき代だったのかもね!

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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