俺は「こんなところで辞めるわけにいかない」と思いとどまったけど、そいつは翌日にどっかにふけちゃった。今でも根室と聞くと、そのかわいがりと、その後に行った銭湯で熱い湯船に入ったら血の巡りがよくなって、ケツが痛くて痛くて、まともに風呂に入れなかったことを思い出すよ(笑)。
かわいがりは十両に上がるまで、何かにつけてやられたもんだけど、なにより稽古が厳しかったのも辛かったね。俺は入門時の13歳で身長182センチ、体重82キロだったので親方にも目をかけられていた。
それで、俺の少し後に入った吉沢(後の金剛)だけがいつも稽古が終わった後、親方から「嶋田と吉沢、今からぶつかり稽古だ」と言われるんだ。これがキツかった。横綱の大鵬さんの稽古も終わって、一度土俵を掃除して清めてから、俺と吉沢の稽古がまた始まるんだ。大鵬さんもこの方式で強くなったから、親方も将来部屋を背負って立たせたい俺たちにも同様の稽古をさせたんだね。
俺たちがぶつかり稽古している周りでは、大鵬さんや大麒麟さん、十両以上の力士が見ていて、励ましているつもりか「この野郎、力抜きやがって!」って怒声を浴びせてくるし……。それが嫌で、稽古が終わる20分前に何食わぬ顔で部屋を抜け出して、浜町公園まで逃げたりね。
それで「嶋田はどこに行った!?」って騒ぎになって、若衆頭なんかが探しに来るんだ。まわし一丁の裸足で逃げだしたら、車で通りかかった出羽ノ海親方に見つかって「お前、どこの部屋だ! そんな恰好で町中歩きやがって! 相撲取りなんだから、ちゃんとした恰好しろ!」と怒られたこともある(笑)。そんな恰好で逃げ出すほど嫌だったんだよ。
金剛は俺より後に入門したけど、2歳上でからだも大きくて強くてね。なにより嫌だったのは、俺たちが特別扱いされることで、ほかの兄弟子が嫉妬心からより厳しく当たることなんだ。普通に扱ってくれたらどれだけ楽だったか。でも、きつく当たってくる兄弟子も、ぶつかり稽古でやり返してスッキリすることも多かったけど(笑)。15歳になるころには、同じ三段目の兄弟子には負けなかったからね。