天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院すると、すぐにイベントに出演するなど、精力的に活動を再開。今回は天龍さんに“過酷な状況”にまつわる思い出を語ってもらいました。

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 過酷な状況で思い浮かぶのは、やっぱり13歳で入った相撲での下済み時代だ。兄弟子に夜中の1時に起こされて「うどん買って来い」って、何かと命令されるのが日常茶飯事。俺たち下っ端は寝る暇もない。

 兄弟子から掃除を言いつけられて掃除をしていると、もう一人からは「おう、今すぐあれ買って来い」と言いつけられて、「掃除しているので買いに行けません」なんて言おうものなら、叩かれるからね。掃除もお使いも、両方そつなくこなすことが求められるんだ。滅茶苦茶で理不尽この上ない世界だったよ。

 今でも思い出すのが、北海道の夏巡業でのことだ。大鵬さんはいつも双眼鏡を持って歩いていて、釧路で兄弟子が俺ともう一人のやつに「大鵬さんの双眼鏡を持って来いよ」と言われたのをすっかり忘れてしまったことがある。

 根室に移動した後、「おい、双眼鏡はどうした?」と兄弟子に詰められて、忘れたことがバレると「明日はかわいがりだ!」と。それで翌日になって、相撲会場の野球場に着いたら、グラウンドの隅の石がゴロゴロしてるような場所に俺ともう一人が呼び出されて、そこで稽古をさせられてね。

 勝っても竹の棒でケツを叩かれ、負けたらバットでケツを叩かれるし、転がったら石がゴロゴロしてて痛いしで、大変な目に遭った。そしたら、もう一人が「双眼鏡を忘れたくらいでこんなことをされるなんてやってられない。俺は辞める。お前も一緒に辞めよう」って言い出したんだ。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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「こんなところで辞めるわけにいかない」