そして、入居1カ月後に退去の申し出がありました。そのときの理由が、「最初に説明を受けていた料金と違うから」。これは絶対にあり得ません。費用に関しては最も問題になりやすいため、文書を用いて入居時に事細かに説明して、承諾をもらったうえでの入居です。

 女性はかたくなな態度を崩さず、夫は女性の希望どおり、施設を出て家に戻られました。私たちスタッフは、一体、何がいけなかったのだろうともやもやした気持ちを解消できずにいました。

 あとで担当のケアマネに聞いたところ、実は次のような理由だったといいます。女性は夫の入居後、四六時中、いま夫はどうしているだろうかと考えてしまい、毎日、早朝から面会に出かけた。トイレ介助など、スタッフが上手に介護している話を聞くと、自分ではできなかったという思いが強くなって、許せなくなった。いろいろ要求して、最後に費用のことを言い訳にしたのは、「退去してください」と言ってもらいたかったから……。

 どうやら女性は、自分が望んだ施設入居ではあるけれど、心情的には自分から介護の主導権を取り上げた私たち介護職に嫉妬し、介護を自分に取り戻したかったようなのです。「やっぱり自分で介護したい」とは言えなかったのでした。

 そこまで考えが及ばなかった私たちも未熟でしたが、介護をめぐる複雑な心理に直面した瞬間でした。

施設側から退去を求めることは、通常はない

 このように、退去の希望は、入居者の安全や安心に関する理由だけにはとどまりません。このことがあってから、私は、たとえ私たち介護職員の対応に間違いがないと思っていても、「このままうちの施設でお預かりして、もしもいま、亡くなるようなことになったら、このご家族は、『こんなところで死なせてしまった』と感じるのではないか」、そう感じられる家族については、スタッフとよく相談して、退去を提案してもいいのではないかと考えるようになりました。

 とはいえ、前述の女性が期待していた「退去してください」という言葉ですが、よほどのことがない限り、いえ、よほどのことがあったとしても、施設側から発せられることは、まずないと思います。いわゆる問題行動を起こしたり、人と対立して孤立してしまうようなケースでも、通常は入居者本人と家族と対話を重ねることで原因を探り、解決策を見いだして改善していきます。

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介護スタッフとの腹を割った話し合いを