元々職場の人と個人的に食事に行ったり飲みに行ったりすることはなかったという人も、退職してみると、職場が居場所になっていたのだと気づいたという。とくに個人的につきあうことがなくても、毎日顔を合わせていれば挨拶だけでなくちょっとした言葉を交わすこともあった。どうでもいいような雑談をしながら笑うくらいでも気が紛れるし、そんな相手がいる職場は自分にとって心地よい居場所だったのだ。ところが、退職して職場を失ってからは、雑談どころか挨拶する相手もいない。これはちょっとまずいのではないかと思い始めたという。
それでも家庭で配偶者と親しく話したり、一緒に仲良く出かけたりするようなら良いのだが、先述のように家庭にも気持ちよく言葉を交わす相手がいないようだと、どこにも居場所がなくなってしまう。そのことを意識したとき、自分がこの世界から疎外されているかのような感覚に襲われるのではないだろうか。
そんなときは、つまり職場もなく家庭も居場所になっていないときは、地域に居場所をつくるようにするといいなどと言われる。だが、これまで家を出たら通勤するだけで、近所で過ごすことなどなかったのに、これからは地域に根を張るようになどと急に言われても、それはなかなか難しい。
勤めていた頃から近所づきあいがあった人はよいが、そのような人は圧倒的な少数派だろう。そうでない人は、しゃべったこともない近所の人に突然声をかけても、おかしな人だと警戒されかねないし、どうすべきか戸惑ってしまうのではないか。
とくに自分から話しかけるのが苦手で、いつも人から声をかけられるのを待つタイプは、いきなり地域に居場所をつくるというのは難しいだろう。
何が何でも新たな人間関係を築かなければならないというわけではない。べつに人とかかわらなくても、家の中に自分の空間をつくったり、行きつけの喫茶店や図書館などを居場所にしたり、美術館・博物館やギャラリーめぐりを楽しんだりして、心地よい居場所とするのもよいだろう。心地よい居場所をもつには、肩の力を抜くことも必要だ。
榎本博明 えのもと・ひろあき
1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。