被爆者を探すのに地元紙、長崎新聞の記事も参考にした。
「被爆者の記事に住まいの町名が載っていることがありました。それを頼りに電話帳で探すと、かなり当事者が見つかった。でも、『原爆のことにはもう触れられたくない』と、撮影させていただけなかった方が結構いらっしゃいました」
谷口さんを写した際には、重症のやけどのあとにもレンズを向けたが、それはまれなケースだった。松村さんは主に顔写真の撮影に力を入れた。
「目で見て被爆のあとがはっきりとわかる人は少なかった、ということもありますが、被爆者たちのお顔というか、目から発するものが違うな、と感じたんです。目の中に被爆者が負ってきた体験みたいなものが潜んでいて、お顔を撮ったときに、それが見えてくる、と感じました」
大きく減った慰霊の人
8月9日の「長崎原爆の日」には平和記念式典が行われる平和公園を訪れた。
「朝早く、平和祈念像のところに行くと、献花台が設けられて、被爆した当事者や関係者、それから普通の長崎の人も慰霊にいらっしゃるんです。それを撮影させていただいた」
かつては大勢の人が献花に訪れ、平和祈念像の前のたくさんの花が並んだ。しかし、最近は慰霊に訪れる人がめっきり減ったという。
「花束が1つ、2つとか、もう本当に数が減りました」
その理由の一つに要人警護の強化がある。平和記念式典の始まる前、平和祈念像周辺への立ち入りが厳しく制限されるようになった。
「そんなこともあって、お参りに来る人も、状況も撮りずらくなってきました」
松村さんは街なかで、原爆が投下された時間に合わせてサイレンが鳴り、黙とうする女性を撮影した。
「でも、そういう人の姿も本当に少なくなりました」
中判カメラで撮る理由
松村さんは最近、デジタルカメラも使うが、長年、中判フィルムカメラを愛用してきた。
「基本的に人物や、モノクロで撮りたいものについては、全部フィルムで撮っています」
かつて新聞社の写真部のロッカーの中にはフィルムカメラがずらりと並んでいた。そのほとんどが35ミリカメラだった。しかし、松村さんは新聞社の仕事を離れると、描写力に勝る中判カメラを手にした。
「もちろん、中判カメラのほうが微細な描写ができることもあるんですが、中判のフィルムだと10枚、もしくは12枚しか撮れない。やたらとシャッターを切れませんから、1カットにおける集中力みたいなことが違ってくる」
プリントにもこだわる。
「写真展では『バライタ紙』というペーパーに自分で焼いたプリントを展示します。黒の階調が豊富で深みがある。デジタルのデータを出力してプリントしたものとはよく見ると異なります」
それは、「見る人が見ればわかる」というほどの微妙な違いだという。
「でもそれが、私なりのこだわりなんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】松村明写真展「立ち上がる光」
ポートレートギャラリー(東京・四谷) 8月10日~8月16日