羽田麗子さん(2017年、撮影:松村明)

被爆者を探すのに地元紙、長崎新聞の記事も参考にした。

「被爆者の記事に住まいの町名が載っていることがありました。それを頼りに電話帳で探すと、かなり当事者が見つかった。でも、『原爆のことにはもう触れられたくない』と、撮影させていただけなかった方が結構いらっしゃいました」

谷口さんを写した際には、重症のやけどのあとにもレンズを向けたが、それはまれなケースだった。松村さんは主に顔写真の撮影に力を入れた。

「目で見て被爆のあとがはっきりとわかる人は少なかった、ということもありますが、被爆者たちのお顔というか、目から発するものが違うな、と感じたんです。目の中に被爆者が負ってきた体験みたいなものが潜んでいて、お顔を撮ったときに、それが見えてくる、と感じました」

大きく減った慰霊の人

8月9日の「長崎原爆の日」には平和記念式典が行われる平和公園を訪れた。

「朝早く、平和祈念像のところに行くと、献花台が設けられて、被爆した当事者や関係者、それから普通の長崎の人も慰霊にいらっしゃるんです。それを撮影させていただいた」

かつては大勢の人が献花に訪れ、平和祈念像の前のたくさんの花が並んだ。しかし、最近は慰霊に訪れる人がめっきり減ったという。

「花束が1つ、2つとか、もう本当に数が減りました」

その理由の一つに要人警護の強化がある。平和記念式典の始まる前、平和祈念像周辺への立ち入りが厳しく制限されるようになった。

「そんなこともあって、お参りに来る人も、状況も撮りずらくなってきました」

松村さんは街なかで、原爆が投下された時間に合わせてサイレンが鳴り、黙とうする女性を撮影した。

「でも、そういう人の姿も本当に少なくなりました」

陣野トミ子さん(2021年、撮影:松村明)

中判カメラで撮る理由

松村さんは最近、デジタルカメラも使うが、長年、中判フィルムカメラを愛用してきた。

「基本的に人物や、モノクロで撮りたいものについては、全部フィルムで撮っています」

かつて新聞社の写真部のロッカーの中にはフィルムカメラがずらりと並んでいた。そのほとんどが35ミリカメラだった。しかし、松村さんは新聞社の仕事を離れると、描写力に勝る中判カメラを手にした。

「もちろん、中判カメラのほうが微細な描写ができることもあるんですが、中判のフィルムだと10枚、もしくは12枚しか撮れない。やたらとシャッターを切れませんから、1カットにおける集中力みたいなことが違ってくる」

プリントにもこだわる。

「写真展では『バライタ紙』というペーパーに自分で焼いたプリントを展示します。黒の階調が豊富で深みがある。デジタルのデータを出力してプリントしたものとはよく見ると異なります」

それは、「見る人が見ればわかる」というほどの微妙な違いだという。

「でもそれが、私なりのこだわりなんです」

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】松村明写真展「立ち上がる光」
ポートレートギャラリー(東京・四谷) 8月10日~8月16日

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