研究分野の少し異なる私の悪口を書いた封書を学科の皆さんに郵送したんです。
――いわゆる怪文書ですか。
ええ。私に声をかけてくれた方が教えてくださった。ただ、自分の関係者や自身が最高と思っている専門分野の方に後を継がせたいという話はどこでもありますよね。『白い巨塔』の時代から変わらない。とはいえ、女性が講座や研究室を持つことの難しさを実感しました。私はたまたまみこしに乗せられて、そして引きずり降ろされたんですけど、それはもう私の責任でも何でもない。今となっては、反対運動をされた方の立場も理解できます。恨んでも仕方のないことです。
――そうですね。振り返って、一番苦労したことは何でしょうか?
何でしょうね。やっぱり家庭との両立ですかね。夫にも娘にも本当に苦労をかけたなと思いますね。夫は6年前にがんで亡くなりました。娘は、小学生のころに「私は絶対に専業主婦になる」って言ったんです。やっぱり寂しい思いをしたんでしょうね。この一言が一番のショックでしたね。
――それでお嬢さんは専業主婦になったのですか?
いえ、働きながら子どもを2人育てています(笑)。大きくなったら、わかってくれるようになった。でも、自分の母親のことを知られるのはすごく嫌がります。誰それの娘だって言われるのは嫌みたいですね。
――わかる気がします。
私は大御所の先生に引っ張り上げられるというようなことはなかったんです。恩師の佐佐木先生にも「君には何もできなくて悪かったね」と言われました。でも、自分の大学外の多くの先生たちといろんな繋がりができて、そういう方たちにたくさん助けてもらった。それでここまで来られたのだと思います。
――後輩の女性たちに贈る言葉はありますか?
今は非常に恵まれている方と、大変な方と、両方いますね。女性を応援してくれる動きにあんまり甘えないで、ちゃんと自分を見つめてくださいということですかね。
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