――それでも、千葉大で研究をスタートさせたんですよね?
最初は横浜国大からついてきた大学院生と外部から入ってきた大学院生がいただけで、卒業研究生は2年間ゼロでした。2年後に「女性科学者に明るい未来をの会」から猿橋賞をいただいて、徐々に学部の講義を担当できるようになり、卒研生も受け入れられるようになりました。
その後、米国で「イオン液体」というものが注目されているようなので、日本でも研究グループをつくってみようという話が出てきた。
――イオン液体とは何ですか?
陽イオンと陰イオンだけから構成される「塩(えん)」で、常温常圧で液体になっているものです。
――「塩(えん)」って、まさに「お塩(しお)」のように普通は固体ですよね。
ええ、そうなんですが、なかには液体になるものがある。1990年代に空気中で安定で100℃以下で液体になる塩(えん)が合成され、それ以後「夢の新材料」として大きな注目を集めました。私は、「液体科学の革命」と位置づけています。
私は調整型の人間なんです。自分についてこいっていうリーダーシップが前面に出るタイプではない。そうすると、錚々たるメンバーがいて、誰を立ててもケンカになるというような局面で「西川さん、代表をやって」となるんです。このときもそういう流れになって、私が「イオン液体の科学」という科研費特定領域研究の代表になりました。研究が採択される前の2005年にイオン液体研究会というのをつくり、世話人代表にもなりました。
2006年に分子科学会という学会をつくったときに初代会長になったのも、同じような流れです。
――そうやって、学術の世界で実績を積み重ねてこられたから、文化功労者に選ばれたんですね。
正直に言って、同じくらいの学術的業績を持つ男性はたくさんいらっしゃると思いますよ。ただ、男性ではあまりやらないユニークなことをやってきた、という自負はあります。溶液や超臨界流体の構造を「ゆらぎ」の視点から研究する人はいなかった。私は「ゆらぎ」を測れる方法論をつくり、「ゆらぎ」を手掛かりに人が気づかない視点で研究を進めていきました。それに、ある時期までは女性ということで非常に差別されましたけれど、今はいい意味で目立つようになったんだと思います。
これはあまり話すべきことではないかもしれませんが、千葉大から別の大学に移る話が出たことがあって、そこの大学の人事委員会を通って最後に学科の皆さんから承認を得る段階でダメになった。何があったかというと、反対運動をされた方がいました。たぶん、退官された先生の専門を受け継ぐような後任者を望んだのでしょうね。