もはや時間に追われて暮らす必要などないのだ。時間とのつきあい方に関して頭を切り換えることができれば、これまで以上に豊かな時間を過ごすことができる。

 時を忘れるような瞬間をもつことで、「今」を充実させることができるし、時間的展望をめぐる葛藤からも解放される。時を忘れるような瞬間をもつこと自体が、悔いのない自分らしい過ごし方ができている証拠と言える。

 文豪森鷗外は、日本人は「今を生きる」ということを知らないのではないかと、小説の主人公の日記の形をとって、つぎのように指摘している。

「いったい日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業をなし遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。現在は過去と未来との間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」

(森鷗外『青年』より)

榎本博明 えのもと・ひろあき

 1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。

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