私たちは、小学校に入学以来、時間割に縛られる生活が続き、就職してからは日々職務に縛られ、常にすべきことに向けて駆り立てられるような毎日を送ってきた。それが当たり前だったため、すべきことが与えられ、それに向けて絶えず駆り立てられる生活にすっかり馴染んでしまった。

 だからそんな生活が終わることに大きな喪失感を抱き、大いに不安になる。でも、よく考えてみれば、時間割やノルマに縛られない生活こそ、ほんとうに自分らしい生活と言えるのではないだろうか。そんな生活がようやく手に入るのである。

 幼い子を連れてハイキングに出かける父親が、家から駅に向かう道で、トンボや蝶が飛んでいるのを見て追いかけたりする子に、

「電車に乗り遅れるから、そんなもの追いかけないで速く歩きなさい」

 と急かす。この場合は、電車に乗って郊外にハイキングに出かけるという目的のために駅までの道を急いでいるので、急かすのもやむを得ないだろう。

 だが、やはり幼い子を散歩に連れ出した父親が、アリが自分の身体より大きい虫の死骸を必死になって運んでいるのをしゃがんで眺めている子に、

「いつまで見てるんだ。もう行こう」

 などと急かす。散歩というのは、何か目的があって歩いているのではなく、散歩自体を楽しむものだろう。この場合、急かす父親と興味のままに漂う子と、どちらが散歩を楽しんでいるだろうか。どちらが豊かな時間を過ごしているだろうか。

 アリの観察に夢中になっている子は、散歩そのものを思う存分楽しむことができている。それに対して、そんな子を急かす父親は、何か別の目的のために歩くことに馴染みすぎたため、散歩そのものを楽しむことを忘れてしまっている。

 これでおわかりのように、退職後は、何からも追い立てられずに、「今」を存分に味わいながら大切に生きることが許されるのである。学校に入る前の幼児期以来、ほぼ60年ぶりに、地に足の着いた生活を楽しめるのである。

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日本人は「今を生きる」ことを知らない