そのような人たちが悲惨なのは、若かった頃の自己イメージにしがみつき、高齢期にふさわしい自己イメージ、それも肯定的な自己イメージをもつことができないでいるからである。
テレビのコマーシャルでも、雑誌やネット記事の広告でも、若さにしがみつこうとする人たちをターゲットにしたさまざまな商品が宣伝されている。そうした商品にも何らかの若返り効果があるのかもしれないが、いくら若さにしがみつこうとしても、若さを基盤とした自己イメージはいずれ手放さなければならない。蠟人形のように寿命が尽きるまで若さを保った老人などいないのだ。
若かった自分を懐かしむのはよいが、高齢期を生きる自分を肯定できるような自己イメージの形成がこの時期の課題であり、そのための自分磨きは、若かった頃の自分磨きとは当然ながら違ったものになっていくはずである。
これからは「今を生きる」ことができるようになる
そこで目を向けたいのが、退職後だからこそ手に入る大きな自由である。
これまでは日々ゆっくりと自分を振り返る間もなく、目の前の課題解決に向けて、あるいは課せられたノルマ達成に向けて、ひたすら走り続けてきた。そんな心の余裕のない生活から解放されるのである。
絶えず急かされている感じがあり、「今」をじっくり味わうことなく通り過ぎていくような毎日から解放されるのである。
定年退職というと、仕事を失う、職業上の役割を奪われるというように、なぜか否定的なイメージでとらえられがちである。でも、学生の頃、これから就職して何十年も働き続けなければならないと思うと憂鬱な気分になったりしなかっただろうか。そこまでではなかったという人も、自由を謳歌する学生時代が終わってしまうことに一抹の淋しさを感じなかっただろうか。
私たちは変化を恐れる。どんなに充実した生活をしている人であっても、惰性で動いている部分はあるものだ。そのため職業生活が終わりを告げる際には、これまで惰性で動いていた部分が失われ、生活のすべての部分を自分で組み立てていかなければならない。それには気力が必要だ。心のエネルギーを注入する必要がある。これまでのやり方を続けるわけにはいかない。それが不安をもたらし、ストレスになる。